第十七回


「ねえ、あなた、折り入って相談したいことがあるんだけど」
「なんだい、かしこまって」
「あの子もだいぶ手がかからなくなったことだし、ワタシ、そろそろ働きに出ようかと思うの」
「へっ?」
「ダメ?」
「ダメではないけど意外だなあ。べつに家計が苦しいわけでもないし、結婚したら専業主婦になると宣言したきみに、どういう心境の変化が起きたのかな」
「じつは、やってみたい仕事があるのよ」
「おおー。きみの口からそんな言葉を聞く日が来るとは。で、やってみたい仕事って?」
「万引きGメン!」
「それって、客のフリしてスーパーとかの売り場に紛れ込んで、万引き犯を捕まえるやつのことだよね?」
「そうよ。テレビで見ててビビッと来たの。正義感の強いワタシにぴったりの仕事なんじゃないかって……なにハラ抱えて笑ってるのよ!」
「ごめんごめん。じゃあさ、ボクが万引き犯の役をやるから、きみ、Gメンの役をやってみてよ」
「しのびねえな、って、ちがーう! 漫才やりたいわけじゃない。本気でいってんだからね!」

「ホント、失礼しちゃう。バカにしてるんだから」
 ところで、Gメンってのはガバメントメンの略、つまり公務員のことなのに、なぜ日本では民間の警備員をGメンと呼ぶのですか?
「知りません」
 まあまあ、そうヘソを曲げずに。ちょうどよかった、いまのあなたに、どストライクではまりそうな本が、ついこないだ出たんです。『万引きの文化史』。世間でも評判になってるようだから、まずは、これで予習してみたらいかがですか。
「外国の本かぁ。アメリカなの? 日本のことが知りたいんだけど」
 私は若いころ、店員のアルバイトをしてたとき、万引きの事例を何度も目撃しました。そんなわけで以前、日本の万引きについて文献を調べようとしたのですが、万引きに関する調査研究って、他の犯罪に比べて驚くほど少ないんです。
「万引きはたいした犯罪ではないってこと?」
 冗談いっちゃ困ります。万引きによる小売業の損失は、日本全体で年間4000億円以上といわれてます。
「すさまじい数字だわ」
 これだけ深刻な犯罪なのに実態がはっきりしないのは、店側が被害実態をあまり公にしたくないからでしょう。
「あの店、万引き被害が県内トップだったんだぜ、なんて評判が立ったら不名誉だものね」
 そういう評判が立って、実際に閉店に追い込まれた小売店の例もあります。
 これまで日本で出てた数少ない本は、それこそ現場のGメンだった人の手記みたいなのがおもで、それはそれで参考になるんですけど、きちんとした調査研究がなかっただけに、この本には期待してたんですよ。
「で、どうなの? 参考になった?」
 やっぱり、と思うところと、えーっ、と驚かされるところと、それはちがうんじゃないかと納得できないところが混在してますね。結論からいえば、万引きをテーマにした文化史の本としては凡作ですが、現代アメリカの陰の一面を暴いたルポとしてみれば、一読の価値があります。
 80年代アメリカの経済成長期に、万引きも大幅に増えたというデータには驚きました。べつの調査では年収2万ドルの人より、年収7万ドルの人による万引きのほうが多かったそうです。
「なにそれ。貧しいから万引きをするんじゃないってこと?」
 はい。もちろんなかには、レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンのように食うや食わずでパンを盗む者もいますけど、金持ちにも万引き犯はいます。つまり、収入や資産レベルに関係なく、万引きをする人はする。しない人はしない。そういうこと。だから、万引きは依存症であるとする説にもうなずけます。
「でも、アメリカ人って、なんでもかんでも依存症にしたがるじゃない。安易な感じがしないでもないわ」
 セックス依存症なんて、最初耳にしたときはみんな冗談だと思いましたよね。ゴミ屋敷問題はアメリカでも起きてますが、あれもある種の依存症として、カウンセリングでやめさせる試みが行われてます。依存症として治療効果があればいいのですが、万引き依存症治療の効果に関しては、まだ見解が割れているようです。
 この本を読んで多くの人が反発をおぼえるとしたら、万引きを正当化したり礼賛したりする擁護論の紹介に、多くの紙幅を費やしている点でしょうね。著者が擁護論者というわけではなさそうですが、読んでいて気持ちのいいもんじゃありません。
 というのは、その理屈というのがみんな稚拙だからです。個人経営の小さな店からパクるのはいけないけど、大きなスーパーマーケットチェーンは大儲けしてるのだからパクってもいいのだ、なんてこじつけばかりで、納得できる論理はひとつもありません。
 大手スーパーが万引き被害で利益を減らしても、経営陣は自分らの報酬を維持したまま、末端のパートや店員を解雇するだけですよ。万引き被害のとばっちりを受けるのは、つねに貧乏人です。万引きは金持ちへの復讐にはなりえません。
「泥棒にもナントカの道理とかいうことわざは、アメリカにはないのかしら」
 この本には書いてないのですが、万引きに関する国際調査(GRTB)を見ますと、じつはアメリカでは、万引きよりも店員による内部犯行被害のほうがかなり多いんです。もしかして、そんな実情があるから、アメリカ人は万引き被害に対してどこか醒めてるのかもしれません。
「店員も味方とはかぎらないだなんて、アメリカの万引きGメンは大変そうね」

◆今回紹介した本

『万引きの文化史』

レイチェル・シュタイア 黒川由美訳

太田出版 2012

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パオロ・マッツァリーノ(Paolo Mazzarino)

イタリア生まれの戯作者。現在、千葉県民。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。著書に『コドモダマシ――ほろ苦教育劇場』、『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』、『13歳からの反社会学』、『つっこみ力』『怒る! 日本文化論 ――よその子供とよその大人の叱りかた』などがある。

著者ブログ http://pmazzarino.blog.fc2.com/

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