第十一回

可憐な花には毒がある

―― 「殺意の瞬間」

 中年の分別ある男が、若い女性に翻弄される。よくある話なのだが、ジャン・ギャバンが演じているところが面白い。あんなに落着いた男でも中年の危機があるのか。
『埋もれた青春』(54)『わが青春のマリアンヌ』(55)に続くジュリアン・デュヴィヴィエのサスペンスあふれる作品。一九五五年の製作で日本公開は五六年。東京では日比谷映画劇場で封切られた。
 私が見たのはのち大学生の時、新宿にあった日活名画座で。当時の批評はさほどよくはなかったと思うが、「殺意の瞬間」(原題も)という題名どうり、先きが読めないサスペンスの面白さに魅了された。

 原作はない。デュヴィヴィエのオリジナル。ジャン・ギャバンは戦前、デュヴィヴィエの作品に数多く出演した。
 ルイ・エモン原作の、フロンティア時代のカナダを舞台にした『白き処女地』(34)をはじめ『地の果てを行く』(35)『我等の仲間』(36)、そして名作『望郷』(36)。ギャバンはデュヴィヴィエによってスターになったといっていい。一方、デュヴィヴィエもまたギャバンを得て名作を作ることが出来た。
 その二人の、戦争をはさんで十余年ぶりの顔合わせになる。ギャバンは一九〇四年生まれだから、この時点で五十歳を越えている。主人公とほぼ同年齢になる。
 冒頭、クレジット・タイトルのところで主題歌が流れる。歌詞は「今は人殺しの世、妻は朝のスープに毒を盛り夫を殺し 愛人の腕のなかで酔いしれる」と物語のなかの殺人を予告している。
 パリ中央市場から始まる。東京でいえば築地の市場のようなところ。のち再開発され、ポンピドゥー・センターが作られる。
 市場のなかに小さなレストラン、ビストロがある。市場で働く人間たち相手の食堂だが、味が良いらしく大統領までやってくる。新聞にも「評判の店」と紹介される。
 この店のオーナー・シェフがジャン・ギャバン。役名はアンドレ。白いコック帽をかぶり早朝から詰めかける客を忙しくさばく。
 映画の主たる舞台になるこの店の様子がまず面白く見せる。市場のなかの店なので早朝から客がやってくる。大統領が財務大臣らを連れてお忍びで訪れる。金持の客が来るかと思うと、ホームレスまでやってくる。
 ギャバンが大勢の客をさばき、料理を作る。ヒラメ、ウサギ、それにザリガニのワイン煮まである。おいしそう。市場のなかの店だから仕入れは自分でもする。市場には、牛の頭がずらりと並んでいたりする。食の国、フランスならでは。
 笑わせる場面がある。
 アメリカの成金らしい客がやってくる。分らないままにメニューにある高価なワインを注文する。連れの女性が「コカ・コーラもね」というのでうんざりしたギャバンはウェイターにこっそりいう。「あの連中には安いワインを出しておけ。どうせ味なんか分かりはしない」。フランス人が思いきり、食文化の貧しいアメリカの成金を馬鹿にしている。

 物語は、その朝、若い女性が店にアンドレを訪ねてくるところから始まる。
 見すぼらしいなりをしている。はじめてパリに来たらしくおどおどしている。可愛い顔をしているが見るからに垢抜けない田舎娘。
 聞けばマルセイユから出て来たという。アンドレは実は二十年以上も前にガブリエルという女性と結婚していたが、仲はうまくゆかず離婚した。以来、ずっと独身。
 マルセイユからやって来たカテリーヌという娘は、ガブリエルの二番目の夫との娘だという。母のガブリエルが死んだので、身寄りのない娘はアンドレを頼ってパリに来た。
 季節は冬。カラーではなくモノクロの画面がパリの寒さを強調している。粗末なコートを着たカテリーヌを見て、アンドレは同情する。二十年以上も前に別れた妻のことはもうほとんど忘れかけていたが、妻の面影を残す(血はつながっていない)娘を見ると、放ってはおけない。
 カテリーヌはアンドレの店で働くことになる。演じているのは新人ダニエル・ドロルム。この映画が代表作になる。のちギャバンがジャンバルジャンを演じた『レ・ミゼラブル』(57、ジャン=ポール・ル・シャノワ監督)では少女コゼット役。ただ、その後、作品に恵まれずダニエル・ドロルムといえばこの『殺意の瞬間』一作で名を残している。

 決して美人ではないが、小柄で田舎娘の可憐さがある。身寄りもなくパリに出て来たので捨てられた小犬のような悲しさがある。血はつながっていないが前妻の娘なのでアンドレは保護者として彼女を守ろうとする。
 カテリーヌのほうも、冷たくされるのかと思ってやって来たら、“父”が思いのほか親切にしてくれたのですっかり甘えるようになる。ダニエル・ドロルム、日本でいえば若い頃の大竹しのぶを思わせる。
 可憐なカテリーヌ。
 ところが徐々に、彼女はとんでもない悪女だと分かってくる。いわゆる小悪魔。可愛い顔をしていながら男を手玉に取る。外見は華奢ではかなげなので五十歳を過ぎた大人の男も簡単に騙されてしまう。
 アンドレはジェラールという医学生を可愛がっている。子供のいない身なので我が子のように思っていて、店が成功したので遺産をジェラールに残そうと思っている。
 この医学生は真面目な好青年で、自分を可愛がってくれるアンドレのことを慕っている。田舎娘のカテリーヌがアンドレの店で働くようになると、同世代のよしみで二人は自然に親しくなってゆく。親がわりのアンドレも二人の仲を親しく見ている。
 ジェラールは大きな犬を一匹飼っていて可愛がっている。犬も飼い主になついている。この犬が最後に重要な役割を果たすことになる。
 ジェラールを演じているのはこの映画のあとクロード・シャブロルの『いとこ同志』(59)で知られるようになるジェラール・ブラン。

 下町人情話が始まるかと思っていると、このあと思いがけない展開になってゆく。カテリーヌが徐々に小悪魔的な正体を見せてゆく。彼女はアンドレとジェラールのあいだで二人を巧みに操る。ジェラールにはアンドレの悪口を吹きこみ、他方、アンドレには媚態を見せてはジェラールのことを悪くいう。
 とうとうそれまで実の親子のように仲が良かったアンドレとジェラールは仲違いをしてしまう。
 ダニエル・ドロルムは可憐な顔をしている女優なだけに、その小悪魔ぶりが意外で面白い。観客もつい騙されてしまう。
 ジャン・ギャバンはこのあとジョルジュ・シムノン原作、クロード・オータン=ララ監督の『可愛い悪魔』(58)でも、パリの小娘ブリジット・バルドーに翻弄される中年の弁護士を演じるが、年齢からいっていわゆるミドル・エイジ・クライシスの役にふさわしいのだろう。
 田舎娘に見えたカテリーヌがしたたかな、計算高い悪女の本性を見せてくる。父親ほど年の離れたアンドレをコケティッシュに誘う。さも身寄りのないかわいそうな少女のふりをして中年男の同情をひく。
 アンドレのほうも若い娘が、学生のジェラールよりも中年の自分を選んだことがうれしい。悪い気持はしない。カテリーヌに高価な服など買ってやる。
 ついには無謀にも彼女と結婚することになる。周囲の人間は誰もこの結婚を喜ばない。とくにパリ郊外で旅館を経営している気の強い母親(ジェルメエヌ・ケルジャン)は女手ひとつで育てた息子が、カテリーヌと結婚することに大反対する。
 この母親は、息子の前の結婚相手ガブリエルのことも嫌っていた。カテリーヌはその娘だから、好意の持ちようがない。しかも女性の勘なのだろう、この小娘の正体を見抜いている。
 アンドレは母の猛反対を押し切って結婚してしまう。従業員たちは「中年男がしようがないな」と冷ややか。ジャン・ギャバンがこういう役を演じるのは珍しい。
 この映画のあとアンリ・ベルヌイユ監督の『ヘッドライト』(56)でもギャバンは家族がありながら若い女性フランソワーズ・アルヌールと愛し合うようになる中年のトラック運転手を演じるが、この女性はあくまで純粋に相手のことを愛していた。それに対し、この映画ではジャン・ギャバンは平たくいえばダニエル・ドロルムにこけにされる。
 二人が結婚したあと物語はさらに意外な展開を見せる。ここから先は詳しく書くのは控えるが、カテリーヌの母親ガブリエルは実は生きていた。パリの安宿で麻薬中毒になって寝たきりの暮しをしている。リュシエンヌ・ボガエルという女優が、この老いた母親を怪演している。娘をアンドレに近づけたのはこの母親の策略だった。無論、狙いはレストランで成功したアンドレの財産。
 カテリーヌの正体がついにアンドレに明らかになった時、母親はさらに知恵をさずける。「方法はただひとつ。お前が未亡人になることさ」。まさに殺意の瞬間――。
 ジュリアン・デュヴィヴィエはかつて日本で高く評価されていたがヌーベルバーグの台頭とともに若い批評家に「職人」と批判されるようになった。
 それに怒ったのがデュヴィヴィエと、そしてジャン・ギャバンを愛した池波正太郎。『池波正太郎のフィルム人生』(新潮文庫、83年)のなかで書いている。デュヴィヴィエは「人生の経験の豊かな本当の大人なんだ」、それが分らないのは「子どもの連中」だ、と。異議はない。

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川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京生まれ。東京大学法学部卒。評論家。『大正幻影』でサントリー学芸賞、『荷風と東京』で読売文学賞、『林芙美子の昭和』で桑原武夫学芸賞、毎日出版文化賞、『白秋望景』で伊藤整文学賞を受賞。『銀幕風景』(新書館)、『現代映画、その歩むところに心せよ』『ロードショーが150円だった頃』(いずれも晶文社)、『きのふの東京、けふの東京』『ミステリと東京』『マイ・バック・ページ--ある60年代の物語』(いずれも平凡社)、『いまも、君を想う』『君のいない食卓』(いずれも新潮社)、『小説を、映画を、鉄道が走る』(集英社)ほか、著書多数。

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