第十一回 婚約と婚約解消、そして『訴訟』


カフカ式プロポーズ

 ついにカフカは、恋人のフェリーツェに結婚を申し込みます!
 手紙好きなカフカのことですから、プロポーズも手紙です。
 当人が「論文」と呼ぶほど長い手紙です。1週間以上かけて書いたものです。

 ぼくはあなたにお尋ねします。
 すでに書いたような、残念ながらどうしようもない前提があっても、
 ぼくの妻になりたいかどうか、じっくり考えてみるつもりがありますか?
 どうでしょう?

1913年6月16日(29歳)フェリーツェへの手紙

「すでに書いたような、残念ながらどうしようもない前提」というのは、自分が健康な人間ではないということです。
 どんなに結婚の条件を気にしない女性でも、「どんな人でもかまわないの、健康でありさえすれば」などと口にするもの。ほとんど条件とさえ言えないような、最低条件。それが健康でしょう。
 それを持っていないと、カフカは言うのです。

 ぼくは実際には病気ではないのですが、
 それでもやはり病気なのです。
 生活状態が変われば、ぼくも健康になれるかもしれません。
 でも、生活状態を変えることは、ぼくにはできません。

同前

 このときには、カフカはまだ病気ではありません。それはカフカも認めています。しかし、「それでもやはり病気なのです」。自分としては、とても健康とは感じられないということです。
 生きづらい人間にとって、健康に自信を持つのは難しいことです。悩みのため息によって、命のロウソクの炎はいつもゆらめいていて、まさに風前の灯火[ともしび]です。
 だったら、ため息をとめればいいわけですが、生きづらさをなくそうと思ってなくせるようなら、もともと苦労はありません。
 それは別人になれということで、そうなりたいわけでもありません。

結婚への障害を果てしなく並べる男

 そんな自分と結婚する気があるかどうか尋ねることを、カフカは「犯罪的な質問」と呼んでいます。
 しかしこれは、病弱な男が、それでも結婚してくれるだろうかと、哀願している手紙ではありません。
 むしろ、その逆です。

 カフカが結婚の障害としてあげているのは、健康問題だけではありません。
 このあと、次々と障害がリストアップされていきます。

 ぼくは無価値な人間、まったく無価値な人間です。

 ぼくには記憶力がありません。

 ぼくは何も経験せず、何も学ばなかったような気がします。
 実際、たいていのことは、小学生よりわかっていません。

 ぼくは考えることができません。
 考えている間はずっと壁にぶつかっています。

 ぼくはちゃんと物語ることができません。
 それどころか、ほとんどものを言うこともできません。
 物語るときはたいてい、
 初めて立ち上がって歩こうとする幼児のような気持ちになります。

 実際ぼくは、人と交際するということから、
 見離されていると思っています。
 いろんな人たちとそれぞれに、何度もやりとりして、
 活気のある会話を展開していくようなことは、
 ぼくには不可能です。

同前

 無価値な人間で、記憶力がなくて小学生より無知で、思考力がなく、ものも言えず、人づきあいがまったくできない、というのです。

 これではまるで、フェリーツェが他の男性と結婚しようとしているのを阻止するために、その男性の悪口を書いているかのようです。「そいつは、こんなとんでもない男だから、やめておいたほうがいいよ」と。
 でも、結婚を申し込んでいるのもカフカなら、結婚しないほうがいい理由をたくさん並べているのもカフカ自身なのです。

フェリーツェ、これでも結婚しますか?

 さて、フェリーツェ、よく考えてみてください。
 結婚によって、ぼくらにどんな変化が起きるか。
 何を失い、何を得るのか。

 ぼくは孤独を失いますが、
 孤独というのは、ほとんどの場合、怖ろしいものです。
 そして、誰よりも愛するあなたを得るのです。

 しかし、あなたは、
 今までの生活を失うことになるのです。
 ほとんど完全に満足している生活を。
 ベルリンを失い、
 あなたの喜びである職場を、
 女友達を、
 人生のささやかな楽しみを失い、
 健康で陽気で善良な男性と結婚して
 美しく健康な子供たちを授かる望みを失うのです。
 よくお考えになってみれば、
 美しく健康な子供たちを得ることこそ、
 あなたの望んでやまないものでしょう。

 この計り知れない損失の代わりに、
 あなたが得るのは、
 病気で、弱くて、人づきあいが苦手で、
 無口で、悲しげな、ぎこちない、
 ほとんど絶望的な人間なのです。
 この男に唯一、美点があるとしたら、
 それはあなたを愛しているということです。

 現実の子供たちのために自分を犠牲にするのなら、
 健康な若い娘であるあなたにふさわしいことかもしれませんが、
 その代わりに、
 子供っぽくて、それも最悪の意味で子供っぽくて、
 最善の場合でも、あなたから人間らしい言葉を習うことになる、
 そんな男のために自分を犠牲にしなければならないのです。
 そして、細々したことに至るまで、あなたは失うことになるでしょう。
 そのすべてを。

同前

 こんな手紙をもらったフェリーツェはいったいどう思ったでしょうか?
 結婚を申し込まれている、その同じ手紙に、結婚しないほうがいい理由がこれでもかというほど書かれているのです。
 相手は、こっちに来てほしいと懇願しながら、通路にたくさんのバリケードを築いているのです。

「これはあらゆる結婚申込みの中で最も風変りなものである」(カネッティ)

フェリーツェは「イエス」と答えた

 ところが、フェリーツェの返事は「イエス」でした。彼女はこの風変わりな結婚の申し込みを受け入れるのです。
 カフカは大いにあわてます。

 そうじゃない、そうじゃないんです。
 自分から不幸になろうとするようなものです。
 そんなことをしてはいけません。

1913年6月20日(29歳)フェリーツェへの手紙

 カフカは「イエス」という答えを待っていたのですが、いざ来てみると、動揺せずにはいられませんでした。おそらく、ノーの返事が来ても同じことだったでしょう。

 カフカは、フェリーツェがちゃんと考えていないのだと非難します。
 自分なんかとの結婚生活がどんなものになるか、じっくり想像してみれば、とてもイエスなんて返事を出せるはずがないと。

 ぼくのことはちゃんと説明したはずです。
 そんな男と、いったいどんな日常生活を送るつもりなのか、
 今日は日曜日ですから、もしお時間があったら、
 少しくわしく書いてみてもらえないでしょうか。

同前

 本当に自分と暮らせるというのなら、それを書いてみろというわけです。
 結婚を申し込んで、イエスという答えをもらったのに、なんという返事でしょう。

なぜ申し出をOKしたのか?

 こんな男との結婚を、なぜフェリーツェは決心したのでしょうか?
 カフカの詳細な伝記本の著者であるエルンスト・パーヴェルは、こう書いています。
「フリーツェは売れ残らないためにも、結婚を望んでいた。彼女は不仲な両親の緊張した雰囲気が嫌で、家を出たいと思っていた。しかし他方、彼女はカフカのかかえている問題がどれほど深刻で広範なものか理解することはできなかったし、それゆえ、そうした問題を即物的かつ合理的に解決できる自分の能力を過信していた」(『フランツ・カフカの生涯』伊藤勉訳 世界書院)
(この本では、フェリーツェの名前の表記が「フリーツェ」となっています。引用なので、そのままにします)

 しかし、本当にそうでしょうか?
 これほどの手紙をもらっていて、深刻に受けとめずにいられるでしょうか?
 そして、そんな理由で結婚したいのだったとしたら、こんな相手を選ぶでしょうか?

 もちろん、フェリーツェの本心は知りようもありません。
 しかし、行動に、その人の本心がいくらかでも表れるとしたら──。
 また先で詳しく書きますが、フェリーツェは、カフカと別れた後も、カフカの手紙をずっと大切にし続けました。別の人と結婚しても、子供ができても、海外に亡命することになっても、決して手放そうとしませんでした。
 売れ残りたくなくて、親元を離れたくて、それでつきあった相手の手紙を、そんなに大切にするでしょうか?
 やはりフェリーツェは、カフカを愛していたのだと思います。

 このときフェリーツェは、決心していたのではないでしょうか。
 カフカのペースにまかせていたら、いつまでたっても、結婚と独身の間を行ったり来たりするだけで、らちがあかない。
 今度は自分が主導権を握って、ぐいぐい結婚まで引っぱっていこうと。
 この人が自分を愛してくれているのはたしかだし、そうでもしないとこの人は結婚できない。それができるのは自分だけだ。
 たとえば、そんなふうに。

 だから、わざと手紙を断って、手紙がないと生きていけないカフカを兵糧[ひょうろう]攻めにして、プロポーズさせるところまで導いたのではないでしょうか。
 だとすると、イエスの返事をするのは当然のことです。

 そこにはたしかに「過信」があったかもしれません。カフカとの結婚がなんとかなると考えるのは楽観的すぎかもしれません。
 しかし、人は恋愛をすると、オキシトシンというホルモンが分泌されて、その効果によって、「将来に対して楽観的になる」のだそうです。
 そうでなければ、生まれも育ちもちがう相手と、一生をともにする約束なんか、相手がカフカでなくたって、できるものではありません。
 過信があったとすれば、それもフェリーツェが本気でカフカを好きだったからこそではないでしょうか。

結婚に向かって歩みながら、結婚から走って逃げる

 ぼくは今日、昼食のときに、
 母から誕生日のお祝いを言われたのに答えて、
 ぼくには婚約者がいると言いました。

1913年7月3日(30歳)フェリーツェへの手紙

 7月3日はカフカの誕生日です。30歳の節目です。
 カフカは母親に、結婚の約束をしたことを告げます。
 ついにカフカも観念したのか?
 そうではありません。
 同じ手紙で、こんなことを書いています。
 カフカの母親がフェリーツェの家について興信所を使って調べたいと言い出し、カフカがそれにしたがって、フェリーツェの父親の名前を教えたというのです。
 わざわざ書かなくてもいいのに、あえて報告するのです。
 フェリーツェがそれに腹を立てて、婚約の話がうまく進まなくなることを、いくらかは期待していたのでしょうか。
 たいした往生際の悪さです。

 ぼくの中には、
 まだあなたの知らない、
 いくつかの怖ろしい片隅があります。

1913年7月13日(30歳)フェリーツェへの手紙

 フェリーツェと結婚の約束をしてから2カ月以上、カフカはなんとか逃走しようと、あがきます。
 結婚の障害となるようなことを、次々と手紙に並べ立てます。
 自分を徹底的にけなすわけですが、多少大げさではあるとしても、必ずしもウソでもないところが、驚きです。たしかに、カフカは問題だらけです。

「ぼくの結婚についての賛否のまとめ」

 カフカは日記に、「ぼくの結婚についての賛否のまとめ」を書きます。

 ぼくの結婚についての賛否のまとめ

 3
 ぼくはずっとひとりでいなければならない。
 ぼくが成しとげたことは、ひとりでいたことの結果にすぎない。

 6
 妹たちの前だと、
 ぼくはまるで別人のように振る舞えることがある。
 他の人たちの前にいるときとは、ぜんぜんちがうのだ。
 とくに以前はそうだった。
 大胆で、開けっぴろげで、堂々として、
 妹たちをあっと言わせ、
 自分も感動にとらわれていた。
 いつもなら、書くときにしか感じないような感動に。
 ぼくの妻に仲立ちしてもらうことで、
 すべての人の前でそうなれるとしたら!
 でも、そうすると今度は、
 書きたいという気持ちが起きなくなってくるのでは?
 それだけは困る、それだけは困るのだ!

1913年7月21日(30歳)日記

 1~7まであり、結婚のメリットとデメリットがここでもぶつかりあっています。
 この3と6からは、もし孤独でなくなって、普通に人づきあいできるようになったら、小説を書くこともなくなるのではないか、とカフカ自身が思っていたことが、うかがわれます。
 カフカの作品というのは、やはり生きづらさの中から生まれているということがわかります。
 つまずくからこそ、倒れるからこそ、気がつけることがあるわけで、どんな道でも平気で歩けるようになれば、何にも気づけなくなってしまいます。
 もちろん、気づかずに生きていけるほうが幸せなのですが……。

終わりを予感して、星をながめる

「お父さん、ぼくは結婚するつもりなのですが、どう思われますか?」

1913年7月24日(30歳)フェリーツェへの手紙

 それでもカフカはついに、自分の父親にも結婚の話をします。そのことを、手紙でフェリーツェに伝えています。
 これはカフカにとっては大きなことです。
(ちなみに、この手紙はこれまでは8月24日のものと思われていました。カフカ自身がそう書いているからです。でも、それは間違いということがわかりました。じつはカフカは、よく年月日の書き間違いをします。もっとも、このときは、もっと先延ばしにしたい気持ちが表れたのかもしれませんが)

 父親は、今の収入で結婚してやっていけるのか、アスベスト工場になぜもっと身を入れないのかなど、ひとくさり文句を言ったようですが、結婚に反対はしませんでした。フェリーツェの一家と会うためにベルリンに行ってもいいとさえ言いました。

 ところが、カフカは──。

 おそらくもう、これですべて終わりだ。
 昨日書いたのが、最後の手紙になるだろう。
 きっとこれがいちばんいいことなのだ。

1913年8月13日(30歳)日記

 カフカは、フェリーツェの父親に手紙を書くことを約束するのですが、書くと言うだけで、いつまでも書きません。
 またフェリーツェが冷たくなってきます。
 カフカはもうこれで終わりかもと思います。夜は星を見てすごします。

フェリーツェは終わりにはさせなかった

 思っていたのとは、まったく逆のことが起きた。
 3通の手紙が届いたのだ。
 最後の手紙には、抵抗できなかった。
 ぼくは彼女を愛している。
 せいいっぱい愛している。
 しかし、不安や自責が積み重なり、
 愛はその下に埋もれて、窒息してしまいそうだ。

1913年8月14日(30歳)日記

 フェリーツェは終わりにするつもりはありません。冷たくしたのも、カフカを動かすためでしょう。
 カフカは、フェリーツェの両親への手紙を書きます。フェリーツェのもくろみはうまくいったわけです。

 ぼくの現状を理解するために、
『判決』から導き出せる、さまざまな推論。
 ぼくがこの物語を書けたのは、彼女のおかげもある。
 しかし、ゲオルクは婚約者のために破滅するのだ。

1913年8月14日(30歳)日記

 カフカ自身が、自分の書いた小説を、今の自分の現実に照らし合わせて、そこから何かを得ようとしているのは、興味深いです。

自殺願望と読書

 明け方、ベッドの中で苦悩する。
 唯一の解決は、窓から飛び下りることだと思った。

1913年8月15日(30歳)日記

 自殺願望がまた頭をもたげてきます。

「八月十八日、長い散歩の途中で、カフカは私に告げた、『ぼくはFに求婚したんだ。』」とブロートは書いています。
 カフカはついにブロートにも、プロポーズのことを話したのです。

 この頃、キルケゴールの日記のアンソロジー『士師[しし]の書』を手に入れて、こう書いています。

 彼の人生に起きたことは、ぼくの場合と非常によく似ている。
 少なくとも、彼は世界の同じ側にいる。
 彼は友達のように、ぼくの肩をもってくれる。

1913年8月21日(30歳)日記

 じつはキルケゴールは、自分から女性にプロポーズして婚約しておいて、約1年後に一方的に婚約を破棄しているのです。
 破棄の理由は謎に包まれているのですが、カフカにはよく理解できたことでしょう。

 お嬢さんは、ぼくといっしょでは、不幸になるにちがいありません。

 ぼくは、無口な、打ち解けない、社交性のない不平家なのです。

 結婚生活もぼくを変えることはできないでしょう。

同前(フェリーツェへの父への手紙の下書き)

 前に出したフェリーツェの両親への手紙の返事が、フェリーツェの父親から届きます。
 それに対して、カフカはまた返事を書きます。
 これはその下書きです。
 カフカはこれを清書して(文章は少し変わっていますが、内容は同じです。カフカ自身への悪口はむしろ増えています)、父親に渡すようにとフェリーツェに送りますが、フェリーツェは父親には見せませんでした。
 それはそうでしょう。
「お嬢さんは私といっしょでは不幸になるに違いない」では、まるで脅迫です。

 ぼくが本当の意味で血縁を感じている4人、
 グリルパルツァー、ドストエフスキー、クライスト、フローベールのうち、
 結婚したのはドストエフスキーだけです。
 そして、おそらくクライストだけが、正しい打開策を見出したのです。
 外からも内からも苦悩が押し寄せてきて、ピストル自殺したときに。

1913年9月2日(30歳)フェリーツェへの手紙

 ここであげられている4人はすべて作家です。
 そして、また自殺の話が出てきます。
 結婚と自殺は、好きな相手が別の人と結婚するというのでない限り、あまり結びつかないものだと思いますが、愛する人と結婚するのに、カフカの頭に浮かぶのは、自殺ということなのでした。

カフカが手紙を書かなくなる!

 この後、カフカは仕事でウィーンに行きます。ウィーンでは「第11回シオニスト世界会議」も開かれていて、カフカも知り合いといっしょにそれに出かけてみます。「しかしそこでは彼は、自分が全くの余所者[よそもの]だ、という感情を抱いた」(エルンスト・パーヴェル)
 そのまま休暇をとって、ベネチアに向かいます。しかし、船酔いして、4日間もホテルで寝込みます。そんな状態だったからでもあったのでしょうが、フェリーツェにこんな手紙を送ります。

 ぼくらは別れなければなりません。

1913年9月16日(30歳)フェリーツェへの手紙

 このあと、リーヴァに行くという短い絵ハガキを出したっきり、カフカはフェリーツェに手紙を書かなくなります!
 出会って以来、あれほど書き続けられていた手紙が、ここで初めで途絶えるのです。フェリーツェが書かなくても、カフカのほうは書き続けていたのに、今度は、カフカのほうが書かなくなるのです。
 これは、吸血鬼が急に血を吸わなくなるくらい、ありえないことです。

 あのことから解放されさえしたら、どんなにいいか。
 あのことをいつも考えずにすみさえしたら、どんなにいいか。
 たいてい朝早く、目覚めてすぐに、
 あのことが何か生きているかたまりのようになって、
 ぼくに不意に襲いかかってくるんだ。
 こんなことさえなければ、どんなにいいか。

 ぼくはなんとしても独身でいたい。
 新婚旅行を想像しただけでも、ぞっとする。
 新婚旅行のカップルはすべて、ぼくに関係があろうがなかろうが、
 目にするのも不快だ。
 吐き気を催そうと思ったら、
 自分が女性の腰に手を回しているところを想像するだけで充分だ。

1913年9月28日(30歳)マックス・ブロートへの手紙

「あのこと」というのは、フェリーツェとのことです。
 悩みが、もはや怪物化しています。

つかの間のスイス人女性との恋

 リーヴァは、イタリアのガルダ湖の北端に位置する街です。
 カフカはここで、18歳のスイス人の女性、G・Wと出会います。
 彼女はキリスト教徒で、イタリアのジェノヴァに住んでいました。つまり、ユダヤ人とも、プラハとも、まったくかかわりがありません。
 何のつながりもない異質な存在。そのことが、カフカの心をほっとさせたのかもしれません。カフカは彼女に恋をします。彼女のほうもカフカを好きになります。
 しかし、将来を考えることのできる恋愛ではないことは、お互いにわかっていました。だからこそ、カフカも安心して純粋に恋をすることができたのでしょう。
 カフカが去るまでの10日間でしたが、2人は充実した時を過ごします。

 リーヴァでの滞在は、ぼくにとってとても重要だった。

1913年10月15日(30歳)日記

 もう遅すぎる。
 愛は甘く、悲しみも甘い。
 ボートの上で、彼女がぼくに微笑む。
 この上ない素晴らしさだった。
 いつもいつも、
 死にたいと思いながらもまだ生きている。
 それだけが愛なのだ。

1913年10月22日(30歳)日記

 最後の「それだけが愛なのだ」は、何が愛なのかわかりにくいですが、「まだ生きている」ことだけでなく、おそらく「死にたいと思いながらも」も含まれるものと思われます。
 死にたくもなり、でも生きていたくもある、その間を行ったり来たりすることだけが、愛なのかもしれません。

グレーテの登場!

 プラハに戻ったカフカは、6週間ぶりに、フェリーツェに手紙を出します。
 しかし、それは別れを感じさせる手紙でした。

 フェリーツェは、このままではまずいと思い、関係の修復のために、自分の女友達をカフカのもとに送ります。
 その女友達の名前はグレーテ・ブロッホ。フェリーツェより5歳下の21歳。フェリーツェとは半年前に知り合ったばかりでした。しかし、2人には多くの共通点がありました。グレーテも速記タイピストからスタートして、どんどん出世をしていった、勤勉で有能な、当時はまだ珍しいキャリアウーマンでした。
 彼女が仕事でプラハに行くので、カフカに会ってもらったのです。

 しかし、フェリーツェとグレーテが似ているということは、とくに世の中をたくましく生き抜いていく力において似ているということは、グレーテもまたカフカを感嘆させるということです。
 フェリーツェは、そこには思いが至らなかったのでしょう。

 グレーテと会ったカフカは、彼女のすすめもあり、フェリーツェと会うために11月8日と9日の土日を使ってベルリンに行きます。
 前回ご紹介した、これまで1913年3月23日のものと思われていた「午後4時か5時には発たなければなりません」というホテルからのメッセージは、この9日のものでした。
 フェリーツェと会えたのは、たった2時間程度でした。フェリーツェの態度は、カフカには冷たく感じられました。いっしょに散歩をしているときも、冷たく歩いていくフェリーツェに、よろめいてついていく自分を、犬のようだと感じます。

 プラハに戻ったカフカは、フェリーツェに手紙を書くよりも先に、グレーテに手紙を書きます。
 そして、このときから、カフカとグレーテの文通が始まります。
 それは、フェリーツェと文通を始めたときとまったく同じで、グレーテの日常の細かいことまで知りたがり、すぐに返事をほしがります。
 手紙の吸血鬼は、他にも手紙を吸い出すことのできる女性を見つけたのです。
 目の前のフェリーツェとの婚約から逃げたいという気持ちもあったでしょう。

ブロートと疎遠になる

 またこの時期、あれほど親しかったブロートと疎遠になっていました。
 そのさびしさもあったでしょう。

 一昨日の晩、マックスのところ。
 彼はますます見知らぬ人間のようになっていく。
 これまでも彼はぼくにとってしばしばそうだった。
 これからはぼくも彼にとってそうなるだろう。

1913年11月24日(30歳)日記

 誰よりも親しみを感じていた相手を、見知らぬ人間になったように感じることほど、孤独なことはないでしょう。

 なぜそんなことになったかは、ブロートが記しています。
「私はちょうどその頃お得意の『共同体への教育』で、カフカをシオニズムへ向わせようとしては彼を悩ましていた。ずいぶん気のきかぬまねをしたものだ。前に私が、たった一度短い期間われわれの友情に曇りが生じたことがある、と言ったのはこれである」

 もう大人ではあっても、まだ若い人間が、
 死んだり、自殺したりするのは、
 はたから見ると、怖ろしいことだ。
 成長していく上では、混乱の時期にもまた意味があるだろうが、
 すっかり混乱してしまった最中に、
 希望を失い、
 あるいは、
 自分が存在したことは世の中の勘定に入れないでもらえるのではないか
 という唯一の希望を抱いて、
 この世から立ち去るのだ。
 ぼくは今、そのような状態にあるのだろう。
 死ぬことは、無を無に差し出す以外のなにものでもない。
 だが、これは感情的には受け入れがたいことだ。
 というのも、
 自分がただの無にすぎないとしても、
 どうしてあえて自分を無に差し出すことができるだろう。
 しかも、本当に何もない無に対してだけでなく、
 理解できないために空虚と感じられるだけの、
 ごうごうと唸[うな]っている無に対して。

1913年12月4日(30歳)日記

 またしても自殺について考えています。
 理性では自殺を正当と見なし、でも感情では受け入れがたいともみなしています。
 理解できない「ごうごうと唸っている無」に自分を差し出すのは、たしかに怖ろしいです。

 本当にひと押しも必要ない。
 ぼくが使える最後の力を引っこめさえすればいいのだ。
 そうすれば、ぼくは絶望におちいる。
 ぼくをずたずたにする絶望に。

1913年12月11日(30歳)日記

 かなり危ない状態にまで達していたことがわかります。

結婚、それは多くのものを失うことに……

 フェリーツェからは、ベルリンで会って以来、まったく手紙が来ませんでした。カフカのほうからまた手紙を出しても返事がありません。
 今度は、カフカのほうが、フェリーツェのところに友達を送ります。
 新しく知り合った、医者であり作家でもある、カフカより1歳上のエルンスト・ヴァイスです。彼はベルリンに住んでいました。
 エルンスト・ヴァイスは12月中旬、フェリーツェのもとを訪ねます。彼とフェリーツェがひかれあうことはありませんでした。それどころか、エルンスト・ヴァイスはフェリーツェを嫌います。カフカの相手にふさわしくないと感じました。
 彼によると、「相手のベルリン女性はただ実務だけの人間であって、『時代の毒』にもっとも染まった女であり、生活をともにできるはずはないというのだ」(池内紀『カフカの生涯』白水社)
 キャリアウーマンに対して、こういう反応を示す男性のほうが、当時は多かったのかもしれません。未だに、そういう男性が少しはいるくらいですから。
「ここでも、もつれた糸を解きほぐすために現われたはずの人物が、なおのこと糸をもつれさせた」(同前)

 フェリーツェの沈黙は続きました。
 ようやく手紙が届いたのは、暮れの12月29日のことでした。
 フェリーツェはその手紙の中で、結婚によってお互いに多くを失うということを書きました。つまり、自分も多くを失うということを、このとき初めて認めたのです。
 これこそ、カフカがずっと主張してきたことで、ついにフェリーツェもそのことを納得したわけです。自分の説得が成功したわけです。
 しかし、カフカはショックを受けます。結婚したくないけれども、結婚したくもある彼としては、フェリーツェが結婚に尻込みすることは、やはりショックなのです。

 彼はすぐに返事を書きます。その中で、リーヴァでスイス人女性に恋をしたことを告白します。
 なぜ、そんなことをしたのでしょう?
 さらにフェリーツェに愛想をつかされるためにか。
 今度こそフェリーツェとの別れを固く決意したのか。

 そうではないのです!
 新年早々の手紙で、カフカはフェリーツェにあらためて結婚を申し込みます。

あらためて結婚を申し込む!

 結婚生活は、ぼくらの関係を維持できる唯一の形式です。
 この関係が、ぼくにはなんとしても必要です。

 ぼくはあなたを愛しています、フェリーツェ。

 あなたがぼくのいろいろな点を非難し、変えたいということ、
 それさえも、ぼくは愛します。

 さあ、それでは決めてください、フェリーツェ!

1914年1月2日(30歳)フェリーツェへの手紙(カフカは13年と書き間違えています)

 これはいったいどういうことなのでしょうか?
 フェリーツェと結婚したいというのは、結婚したくないのと同じくらい、カフカの一貫した気持ちですから、フェリーツェのほうが逃げていくと感じた今、今度はカフカのほうが追いかけ始めるのは、わからなくはありません。
 しかし、あらためて結婚を申し込む前に、なぜリーヴァのスイス人女性の話をしたのか、またなぜ一方でグレーテと手紙をやりとりして関係を深めていくのか?

 カフカが不誠実な浮気者でないのは、もちろんです。
 これは後のことですが、カフカは、ある女性が浮気者の夫について語るのを聞いて、何人もの女性と同時につきあえるとは、と大変驚嘆しています。自分はひとりとつきあうのも難しいのにと。

 リーヴァのスイス人女性に、カフカはフェリーツェの話をしています。そのことは年末のフェリーツェへの手紙でも強調されています。結婚する相手はフェリーツェしかいないと、カフカはこのスイス人女性との出会いを通じて、さらに確信するのです。
 他の女性との出会いもあったけれども、やはりあなたしかいないということです。

 グレーテについては、彼女との文通によってカフカが得たフェリーツェとの「隔[へだ]たり」が、あらためて求婚する気持ちを強めたのではないかと、カネッティは指摘しています。
 フェリーツェと2人きりの関係では、逃げたくなってしまうけれども、グレーテもいれば、適度な距離が保てて、逃げずにすむということでしょうか。
 たしかに、この後もずっと、カフカはフェリーツェとグレーテと3人で会いたがります。それはとても奇妙なことではありますが、カフカにとってはそれが精一杯だったのかもしれません。
 2人だけの関係というのは、とても濃密なもので、そこに誰かが加わることで、ぐっと緊張感がやわらぐこともあるものです。夫婦にとっての子供も、ときとしてそういう役割をになっているでしょう。
 カフカはさらに、フェリーツェの妹のエレナとさえ文通しようとして、フェリーツェにも、グレーテにもあきれられて、あきらめています。

フェリーツェの沈黙は続く

 カフカの再度のプロポーズに対して、フェリーツェはさらに沈黙を続けます。

 ぼくが自殺することになっても、
 それはまったく誰の責任でもない。
 たとえば、直接のきっかけがあきらかにFの態度にあったとしても。
 半ば眠った状態で、ぼくはすでに一度、その場面を想像したことがある。
 いったいどんなことになるのか。
 ぼくはこれが最後という覚悟で、
 別れの手紙をポケットに忍ばせて、彼女の家に入って行く。
 結婚を申し込んで、拒絶され、
 手紙をテーブルの上に置いて、バルコニーに行く。
 みんなはあわててかけつけて抱きとめてくれるけれども、
 もがいて、その手をふりはらい、一瞬のすきに、
 バルコニーの手すりを飛び越える。
 しかし、手紙にはこう書いてある。
 ぼくはFのせいで身を投げるのだけれど、
 求婚が受け入れられたところで、
 ぼくにとって本質的なちがいは何もなかった、と。
 ぼくは飛び下りることになっている。
 他にどうしようもないのだ。
 それがぼくの宿命であり、
 Fによってそれが現実のものとなるのは、偶然にすぎない。
 ぼくは彼女なしで生きることはできない。
 だから、ぼくは飛び下りなければならない。
 しかしぼくは──Fも予感しているように──
 彼女とともに生きることもできないだろう。
 今晩ぼくが飛び降りてはいけない理由があるだろうか。

1914年2月14日(30歳)日記

 帰り道で、ぼくが黙りこくっているのをマックスが嘆いた。
 そのあとで、自殺願望。

 ひとりで2時間ほど歩きまわり、
 金曜日にベルリンに行くことを決心した。

1914年2月15日(30歳)日記

 2月には、ブロートとの友情が回復しました。
 しかしそれでも、自殺への思いが強くなっています。

 2月28日、カフカは予告もせずにベルリンに行き、フェリーツェを訪ねました。オフィスに行って面会を求めたのです。
 フェリーツェは驚きましたが、喫茶店でお昼をいっしょに過ごし、仕事が終わってから2時間散歩をし、さらに翌日の日曜日も3時間以上散歩をして、喫茶店に行きました。
 彼女はロケットにカフカの写真を入れていて、カフカのことを好きだとも言いました。でも、結婚には消極的でした。
 帰りは見送ってくれませんでした。

最後の最後に!

 その後も、フェリーツェの沈黙は続きます。
 3月18日には、カフカの母親がフェリーツェに手紙を出します。
 その前に、フェリーツェから母親に手紙が来ていたようです。内容はわかりません。
 カフカの母親は、とにかくすぐにフランツに手紙を出してくれるよう頼んでいます。母親の目から見ても、カフカの心労は激しかったようです。
 このやりとりは、もちろんカフカには内緒です。

 3月19日、カフカはついに、フェリーツェの両親にまで手紙を出します。
 フェリーツェの様子を教えてほしいと。

 3月21日、カフカはついに、最後になるかもしれない覚悟で、フェリーツェに手紙を書きます。
 月曜日(3月23日)までに、はっきりした返事がなければ、これでお別れだと、
 火曜日以降はもう何も期待しないと。
 グレーテにもこの期限のことを手紙で知らせています。
 今度こそは本気であったようです。
 そして、フェリーツェから返事が来ることは、もうほとんど期待していませんでした。
 返事が来ることはまったく考えられないし、来たら奇蹟だと。

 ところが、月曜日の午後5時、フェリーツェから電報が届きました!
 火曜日に手紙が届くことが予告されていました。
 その手紙は水曜日になって届きました。
 フェリーツェは結婚を承諾したのです!

 フェリーツェはなぜ急に態度を変えたのでしょうか?
 エルンスト・パーヴェルはこう書いています。(以下、引用文中のバウアー家とは、フェリーツェ・バウアーの家のことです)
「ベルリンではフリーツェ家に事件が起こっていた。フリーツェの弟フェルディナンドは、自分が犯したある経済犯罪が発覚すると、たちどころに決心して、恋人も家族も捨てて、ちょうどカフカの『アメリカ』の主人公のように、アメリカに逃れようとしていたのだ。三月初め、彼はアメリカに出発した。このスキャンダルはバウアー家を直撃した。心理的にも経済的にも、フリーツェに重荷がのしかかった。こうした状況にあって、彼女がカフカとの結婚をそれまでとは違った観点で考え始めたことは推測できる。家族の苦悩やバウアー家に対する悪評から逃れるため、ベルリンを去るというのも彼女の選択肢のひとつだっただろう」
 たしかに、こういう出来事が起きていて、フェリーツェの心を悩ませていました。

 しかし、カフカとの結婚を最終的に決めたのがこれだったというのは、どうでしょうか?
 以前にも書いたように、フェリーツェの沈黙が、カフカを結婚まで導くためのものであったとしたら、ぎりぎりのところまでカフカを追い詰めて、そこでようやくOKをしたのは、見事としか言いようがありません。ここしかないというタイミングで釣り竿を上げています。これが、偶然の出来事によって起こりうることでしょうか?
 毎日のように続いた手紙のやりとりによって、カフカについて熟知し、カフカを愛し、こうして無理に結婚させてあげるのが、当人にとって幸せと思ったからこそ、できたことではないでしょうか。
 カフカの母親と密かにやりとりをしていたのも、タイミングをはかるためかもしれません。実際、この最後の期限を逃せば、もともこもなかったわけで。

 しかし、本当のところはわかりません。
 結婚したいのかしたくないのかわからないカフカに振り回され、一生懸命に返事を書いたり、もう書くことができなくなったり、結婚したいと思ったり、不安になったり、ただただフェリーツェも揺れ動いていただけなのかもしれません。

ついには、自分の意志で

 4月12日と13日の復活祭に、カフカはベルリンに行き、そこで非公式の婚約が行われました。
 ついに、カフカとフェリーツェは婚約したのです!
 フェリーツェはカフカの母親に手紙ですぐにこのことを知らせています。そして、カフカの母親も喜びの返事をしたためています。
 カフカは、グレーテに手紙で報告しています。

 ぼくがこんなにも断固たる態度で物事を行ったことは、
 いまだかつてないでしょう。

1914年4月14日(30歳)グレーテへの手紙

 ともかくも、自分の意志で、カフカは婚約したのです。
 いずれにしても、ここまでカフカを動かしたフェリーツェはすごいとしか言いようがありません。

 5月には、フェリーツェと彼女の母親が、プラハのカフカ家を訪問します。
 そして、早くも新居探しが始まります。部屋はカフカの両親が決めて、仮契約までしました。
 こうして具体的にことが進み始めると、カフカの結婚へのためらいも、また高まってきます。

 両親がFとぼくのために、素適な住まいを見つけてくれたらしい。
 午後をまるまる、ぼくはむだにうろつき回って過ごした。
 いったい両親は、
 ぼくのためにあれこれ気を配って幸福な一生を過ごさせたあとで、
 ぼくを墓穴に下ろすことまでするつもりなのか。

1914年5月6日(30歳)日記

 新婚生活の新居を探しているのに、カフカに思い浮かぶのは墓穴なのでした。
 両親の気配りも、カフカには自分の葬式の準備のようにしか感じられません。
「素適な住まい」というのは皮肉も込めて書いているのでしょうが、両親にとっては素適でも、カフカにとっては素適ではないのです。あるいは、住まいは素適でも、自分が素適ではないのです。

正式の婚約で、ますます気持ちが揺らぐ

 それでも、5月30日、ベルリンのバウアー家にカフカの両親もおもむき、ついに正式に婚約!
 カフカは30歳、フェリーツェ・バウアーは26歳でした。

 ベルリンから戻った後の日記です。

 ベルリンから戻った。
 まるで犯罪者のように縛られていた。
 実際にぼくを鎖でつないで隅にすわらせ、
 警官たちを前に立たせて、
 そんなやり方で見せ物にしたとしても、
 これほどひどくはなかっただろう。
 しかも、これがぼくの婚約式だったのだ。

1914年6月6日(30歳)日記

 同じ日に、グレーテにも手紙を書いています。婚約式には彼女も列席していました。

 時々ぼくは、本当にわからなくなるのです。
 今のような状態のぼくが、
 どうやって結婚の責任を負うことができるのか。
 女性の堅実さの上に築かれる結婚?
 それは斜めに傾いた建物になるでしょう。
 倒れて壊れるだけでなく、土台まで大地から引っこ抜いてしまいます。

1914年6月6日(30歳)グレーテへの手紙

 もはやすっかりマリッジブルーです。
 確信をもって婚約したはずなのに、早くも傾いてしまっています。

 新居の内装、家具調度の準備も始まります。
 その頃、バウハウスの前身にあたる工房が開かれたところで、さすがはカフカというか、そこの家具が気に入っていました。しかし、フェリーツェは当時の普通の女性ですから、新婚家庭にはもっと普通に華やかな家具を揃えたいと思いました。
 このときのことを後にカフカはこんなふうに書いています。

 一度据え付けたら、二度と動かせそうもない、重い家具。
 その堅実さこそ、あなたが最も重視するものです。
 食器棚は、まるで墓石そのもの、
 あるいはプラハの役人生活の記念碑のようで、
 ぼくの胸を圧迫しました。
 店で家具を見ていたときに、
 どこか遠くで、弔いの鐘が鳴ったとしても、
 決して場違いではなかったでしょう。

1916年2月中旬(32歳)フェリーツェへの手紙

 大変な圧迫を感じていたことがわかります。墓に続いて、今度は葬式の鐘です。

グレーテへの情愛が高まる

 結婚式も挙げることになり、9月と決まりました。
 人の結婚式に出るのさえ嫌がるカフカですから、自分が主役ともなれば、どれほど嫌だったかしれません。

「復活祭の婚約以来グレーテに対する彼の情愛が高まる。彼女がいなかったら彼は婚約を実現しなかったであろう。このことを彼は知っている。彼女はフェリーツェに対する勇気と距離を彼に与えたのであった。しかしここまで事が進んだ今、彼女は彼にとっていっそう欠かすことのできないものになる」「(フェリーツェとの)結婚は、彼がその場合彼女(グレーテ)をいっしょにして考えた時だけ完全であった」(カネッティ)
 じつに不思議な状況になってきました。
 結婚の重圧に押しつぶされそうなカフカは、グレーテにすがります。彼女に手紙を書き続けます。そこには、フェリーツェとの結婚に対する不安があふれています。

 グレーテの心境も複雑です。
 彼女はフェリーツェの友達であり、カフカとの間をとりもってくれるよう頼まれたのでした。
 フェリーツェとカフカが婚約して、彼女の使命は果たされました。
 しかし一方で、彼女とカフカは、文通をしているのです。
 手紙からは、カフカの愛が感じられます。彼女のほうも彼にひかれていました。
 でも、カフカはフェリーツェと結婚します。その婚約式に自分も立ち会いました。
 にもかかわらず、カフカの手紙は続きます。結婚してからも続きそうです。
 これはいったいどういうことなのか?
 フェリーツェへの罪悪感もあったでしょう。嫉妬もあったかもしれません。このままではいけないという気持ちもあったでしょう。どうしたらいいのかわからなかったかもしれません。

31歳の誕生日の警告

 ともかくも、彼女は、カフカに手紙で警告します。
 2人によかれと思って、婚約の手助けをしたけれども、その責任にもう耐えられそうもないと。
 それはまさにカフカの31歳の誕生日の7月3日に届きました。
 カフカはその日のうちにすぐに返事を出します。

 さあ、これでぼくはあなたを納得させたわけです、グレーテ。
 ぼくがFの婚約者ではなく、Fにとって危険な存在だと、
 あなたの目にも見えてきたわけです。

1914年7月3日(31歳)グレーテへの手紙

 この結果、何が起きるか、カフカは予感していたでしょうか?

 7月11日、カフカはベルリンに行きます。フェリーツェ、グレーテといっしょに短い休暇を過ごすつもりでした。
 いつものホテル、アスカーニッシャー・ホーフに泊まります。「ホーフ」は「中庭」という意味ですが、別に「法廷」という意味もあります。
 そして翌日、そのホテルの部屋はまさに法廷となったのでした。カフカを裁くための。
「ホテル内の法廷」と、カフカ自身も7月23日の日記に書いています。

 フェリーツェとグレーテがやってきました。フェリーツェの妹のエルナも連れていました。
 カフカの友人のエルンスト・ヴァイスも呼ばれます。
 何事かと、カフカは思ったことでしょう。
 グレーテは、カフカからのこれまでの手紙をすべてフェリーツェに見せたのです。グレーテへの愛情と、フェリーツェとの結婚へのためらいがたっぷり詰まった、たくさんの手紙を。
 カフカはそのことで断罪されます。
 カフカは弁解せず、黙ったままでした。そのこともフェリーツェを怒らせます。

罪人のように「法廷」で裁かれて、婚約解消

 こうして婚約は解消されたのでした。
 非公式の婚約から約3カ月、正式な婚約から約2カ月です。

 後に彼はグレーテへの手紙でこう書いています。

 あなたはたしかに、アスカーニッシャー・ホーフで、
 ぼくに対する裁判官としてすわっていました。
 ──それはあなたにとっても、ぼくにとっても、
   すべての人にとって、嫌なことでした──
 しかし、ただそう見えただけで、
 実際には、あなたの席にすわっていたのはぼくで、
 今日までその席を離れていないのです。

1914年10月15日(31歳)グレーテへの手紙

 このカフカの言葉は、何を意味しているのでしょうか。
 婚約解消は、グレーテによって引き起こされたことだけれども、そう仕向けたのは、自分だということではないでしょうか。
 カフカは婚約解消を願ってもいたはずです。

 でも、同時に、カフカにとって婚約解消は大変なショックでもありました。
 しかも、このように法廷で罪人のように裁かれたことは。

肉を食べるカフカ

 カフカはそのまま旅に出ます。
 エルンスト・ヴァイスらとともに、デンマークのバルト海の海水浴場マーリエリュストに。
 そのときの写真が残っていますが、海水パンツ姿で、楽しそうにも見えます。

 これがいちばんいいのだと、ぼくにはちゃんとわかっている。
 今度のことは、まったく避けようがなかったのだから、
 人が思うほどには、動揺していない。

1914年7月19日か20日(31歳)ブロートとフェーリクス・ヴェルチュへの手紙

 たしかに、自分から招いたことであり、「人が思うほどには」動揺していなかったでしょう。
 しかし、ある程度は、やはり動揺していたわけです。

 注目すべきは、同じ手紙にあるこの記述です。

 ほとんど肉ばかり食べている。

同前

 これはとても興味深いことです。
 あれほどかたくなに菜食主義をつらぬき、結婚したらずっと菜食になるとフェリーツェに告げていたにもかかわらず、婚約が解消されると、とたんに肉を食べているのです。
 じつは、婚約解消になった当日にはもう、フェリーツェの妹のエルナといっしょに肉を食べに行っています。
 彼が抵抗している父親や、フェリーツェから解放されたり、プラハから離れたりすると、カフカは肉を食べるようになります。
 肉を食べないということは、現実を受け入れない、相手を受け入れないということと、あきらかに関係しています。

第一次世界大戦が勃発

 ドイツがロシアに宣戦布告した。──午後、水泳教室に。

1914年8月2日(31歳)日記

 カフカがプラハに戻った数日後の7月28日、第一次世界大戦が勃発しました。

 そして、8月12日か13日くらいから(1912年8月13日にフェリーツェと出会ってから、ちょうど2年です)、カフカは長編小説『訴訟(審判)』を書き始めます。
 この『訴訟(審判)』は、「何も悪いことはしていないのに、ある日突然、逮捕されて、処刑される」というお話です。
 カフカが亡くなった後、ナチスが台頭し、第二次世界大戦が起き、実際に「何も悪いことはしていないのに、ある日突然、逮捕されて、処刑される」という世の中がやってきました。
 そのため、『訴訟(審判)』は先の時代を見抜いていた予言の書として、カフカの評価を世界的に高めることになりました。
 それはやはり、第一次世界大戦を経験したことから、書かれたものなのでしょうか?

 そうではありません。もしそうだとしたら、開戦からたった十数日で書き始められるというのは、いくらなんでも早すぎるでしょう。
 また、カフカは戦争というような大きな出来事に目を向けるタイプではありません。カフカはあくまで日常を、しかも日常の細部を見つめるタイプです。
 日記にも、戦争のことはあまり出てきません。「ドイツがロシアに宣戦布告した」という記述はありますが、その後で水泳教室に行くのがカフカなのです。

「第一次世界大戦中、カフカは奇妙な行動をとっている。つまり彼は、いかなる奇妙な行動もとらなかった。
 開戦とともに誰もがこれまでとはちがった感情に襲われ、これまでとはちがった言葉を口にした。ついぞなかった熱狂を示したり、にわかに愛国主義者になったりした。あるいは反戦家になった。戦況に一喜一憂し、勝利を称えながら、ひそかに不安を洩らしたりした。トーマス・マンは『非政治人間の政治的考察』と題する長文の時局論文を発表した。ヘルマン・ヘッセは反戦のペンをとった。詩人リルケは『微力ながらの奉仕』の呼びかけに応じて戦時報道局に勤務した。そんな時代相にあって、カフカはまるきり戦争がないかのようにふるまった。いかなるきわだった行動もとらなかった点で、このプラハの小官吏兼無名の作家の日常はきわだっていた」
「世の動きを一切黙殺する。戦時下にあって、まるきり戦争がないかのように生きる」(池内紀『カフカの生涯』)

なぜまた書けるようになったのか?

 戦争がきっかけでなかったとしたら、書けなくなっていたカフカが、なぜ突然、書けるようになったのでしょうか? 仕事は忙しかったのに、9月末までには『訴訟(審判)』を3分の2近くまで書き上げるほど、筆が進んでいます。

 それはフェリーツェとの婚約解消が原因です。
 フェリーツェとの出会いによって、たくさんの作品が生まれたように、フェリーツェとの別れによって、カフカはまた書く力を得たのです。
 情緒不安定が創造力を高めるとしたら、恋の始まりにも情緒不安定になりますが、失恋もまた大いに情緒不安定になります。カフカだけでなく、ゲーテも失恋の後に名作を書いています。最も有名な『若きウェルテルの悩み』も失恋の産物です。そういう作家は少なくありません。
 しかもカフカの場合は、断罪されての婚約解消です。衝撃はなおさら大きなものがあります。

 そこにさらに戦争の衝撃が加わったということでしょう。
 失恋の衝撃と戦争の襲撃を同列に並べるのはおかしいと思うかもしれませんが、一般の個人の日常生活においては、そんなものではないでしょうか。カフカの場合はなおさらそうです。

 戦争と結びついている考えは、
 さまざまな方向から侵食してきて、ぼくを苦しめるという点で、
 かつてのFについての心配と似ている。
 ぼくは心配に耐えることができない。
 多分ぼくは、心配で滅びるようにできているのだ。

1914年9月13日(31歳)日記

婚約と婚約解消から『訴訟(審判)』が生まれる

 フェリーツェとのこれまでの2年間のやりとり、そしてとくに婚約と、婚約解消という2つの大きな事件から、『訴訟(審判)』が生まれたことは、内容的にもあきらかです。

 たとえば、主人公の名前はK(ヨーゼフ・K)で、重要な登場人物であるビュルストナーという女性を、原稿でカフカは F.B. と略して書いています。そして、婚約解消の事件をカフカはつねに「法廷」と呼んでいました。

 また、カフカは小説を書くとき、通常は、出だしから結末に向かって、まっすぐに書いていきます。ですから、未完の作品はたいてい結末がありません。ですが、『訴訟(審判)』だけは例外で、最初の章と最後の章が、まず初めに書かれました(これは生原稿の調査でもはっきりしています)。未完なのは、途中の章です。
(ちなみに、私の最初の本『逮捕+終り──「訴訟より」』は、この事実から、『訴訟(審判)』の最初と最後の章のみを訳して、解説を付けたものでした)
 なぜそういう例外的なことが起きたかというと、「婚約は第一章の逮捕となり、『法廷』は処刑として最後の章に現われる。日記の中の幾つかの箇所はその間の事情を、おそらく立証することが許されるほど、とても明瞭にしている」(カネッティ)からです。

 Kが逮捕されるのは、彼の30歳の誕生日。カフカが結婚を決意し、母親にそれを告げたのも、30歳の誕生日でした。
 Kのところに処刑人がやってくるのは、31歳の誕生日の前夜です。カフカのところに、婚約解消につながるグレーテの警告の書かれた手紙が届いたのは、彼の31歳の誕生日でした。

 でも、『訴訟(審判)』のKは何も悪いことはしていません。カフカはどうなのでしょうか?

 無罪潔白にして極悪非道。

1914年7月23日(31歳)日記

「法廷」での自分を、彼は日記の中でこう表現しています。
 婚約解消を招き寄せたのは自分であり、その意味では「極悪非道」。
 しかし、法廷で裁かれるような悪いことは何もしていない。「無罪潔白」だ。
 カフカはそんなふうに思っていたのでしょうか。
 この「罪はないけど、罪悪感はある」というのは、幼い頃からカフカにずっとある感覚です。

 フェリーツェとの関係から、いかにして『訴訟(審判)』が生まれたかの詳しいことは、ぜひ『もう一つの審判』(カネッティ 法政大学出版局)をご覧いただければと思います。タイトルの「もう一つの審判」というのは、フェリーツェとの婚約と婚約解消のことなのです。

文学は、特殊な事例の中から、普遍的な現実を発見する

「なんだ、『訴訟(審判)』はもっと深淵な小説かと思っていたのに、自分の婚約と婚約解消のことを書いたものだったのか……」とガッカリする方もおられるかもしれません。

 しかしそれは、「ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した」という逸話を聞いて、「なんだ、万有引力のもとはリンゴだったのか」とガッカリするようなものです。

 文学とは、特殊な事例の中から、普遍的な現実を発見するものです。
 たとえば、戦争という特殊な出来事を経験することで、そうでなければ気づかなかったような人間の残酷さに気づいて、それを描く、というふうに。
 その「人間の残酷さ」は、普段は見えにくいだけで、でも本当はいつでもあるものです。だから、戦争のない時代に、戦争に興味のない人が読んでも、その文学は面白いのです。自分と深くかかわるものだと感じるのです。

 カフカは、たしかに、婚約・婚約解消事件をもとに、『訴訟(審判)』を書きました。
 しかしそれは、婚約・婚約解消事件という特殊な出来事の中に、普遍的な現実を発見したのです。リンゴが落ちたのを見て、ニュートンが万有引力の法則を発見したように。
 カフカが発見したものが、普遍的な現実だからこそ、それはナチスの時代の出来事にもあてはまったのです。万有引力の法則が、リンゴだけでなく、バナナにもミカンにもあてはまるように。

普遍を特殊に戻してしまっては、なんにもならない

 ですから、婚約・婚約解消事件をもとに『訴訟(審判)』が書かれたとしても、婚約・婚約解消事件を知らなければ『訴訟(審判)』がわからないわけではありませんし、婚約・婚約解消事件を知れば『訴訟(審判)』がわかるわけでもありません。ニュートンの見たリンゴについて知れば、万有引力の法則についてわかるわけではないように。
 ところがこれが、たとえば「当時のユダヤ人のおかれた状況を描いたものであり……」などと言われて、「当時のユダヤ人のおかれた状況を知らないと、この作品はわからない」などと言われると、難しそうなだけに、「ああ、そうなのかな」と思ってしまいがちです。
 それは大変な誤りで、そんなことはありえないのです。くり返しになりますが、文学とは特殊から普遍を取り出すものだからです。それを特殊に戻してしまったのでは、なんにもなりません。

どの解釈も正しいが、「この解釈だけが正しい」は間違い

 普遍的なことを描いているからこそ、カフカの小説は、さまざまなことにあてはまるのです。
 カフカの小説が、じつに多種多様な解釈をされていることは、皆さんもお聞きになったことがあるかもしれません。どの解釈を聞いても、なるほどたしかにぴったりあてはまっていると思うはずです。
 これは不思議でもなんでもなく、普遍的な法則なら、それが当然です。
 ですから、どの解釈も間違っていません。すべて正しいのです。
 ただ、「このひとつの解釈だけが正しい」と言ってしまうと、それは間違いです。
 リンゴが落ちるのを見て発見されたとしても、リンゴにだけ適用するのが万有引力の法則の正しいあり方ではないでしょう。

ねずみ穴の中での発見

 では、『訴訟(審判)』が、婚約・婚約解消事件から生まれたということを知るのは、無意味でしょうか?
 そうではありません。そういう日常的な出来事から、カフカが普遍的な現実に気づいたというところに、驚きと面白さがあります。
「ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した」という逸話が人の心をとらえるのはなぜでしょうか?
 それは、リンゴが落ちても、普通はそこから引力の法則を発見したりしないからです。ただ、「リンゴが落ちたなあ」としか思わないからです。
 カフカの場合も、普通の人なら「失恋したなあ」としか思わないところで、これほどまでに衝撃を受け、動揺して、新しい現実に気づくのです。その極端なまでの過敏さこそが、カフカの生きづらさのもとであり、素晴らしい作品を書けたもとでもあります。

「一見ごく平凡な事態にあっても彼は、他の人たちがその破壊の仕業[しわざ]によって初めて経験できることを経験したのである」(カネッティ)
 なぜか? それは「カフカは己[おの]が無力をたえず意識していて、他の人たちがまだ安全だと思っているところでそれを感じていた」(カネッティ)からです。弱くあろう、小さくあろうとしていたからです。ものすごく敏感であるなら、新しい現実に気づくのに、大きな事件は必要ないのです。
 そこにカフカの偉大さがあります(本当は「大」という言葉はふさわしくないですが)。

 もっと大きなことで自分を試そうとするべきだ、と君は言う。
 ある意味では、そうかもしれない。
 だが、大小で決まることでもないだろう。
 ぼくは、ぼくのねずみ穴の中でも自分を試せるはずだ。

1922年9月11日(39歳)ブロートへの手紙

 とカフカが言っているのは、きっとそういうことでしょう。

小さな帽子から、大きなゾウを取り出す

 どんな小さなことから発見しても、その普遍的な現実の法則は、小さなことから大きなことにまで、すべてにあてはまります。
 万有引力の法則が、リンゴだけでなく、月と地球の関係にもあてはまるように、カフカの小説も、ささいな日常から、ナチスといった国家レベルのことにまであてはまります。

 もちろん、ニュートンもリンゴが落ちるのを見ただけで万有引力の法則を発見したのではないでしょう。カフカも、婚約・婚約解消事件だけではなく、『訴訟(審判)』には、幼い頃の父親との関係も、色濃く反映されています。
 しかし、いずれにしても、家庭や職場の範囲内の出来事です。
 カフカの弱さ、過敏さ、生きづらさが、小さなものの中から、大きなものを取り出してみせるのです。

―――――――――――――――――――――――
追記
○カネッティの『もう一つの審判』(法政大学出版局)については、何度もご紹介しておりますが、この本は、『訴訟(審判)』の謎解きをして、婚約・婚約解消事件が答えだと提示しているわけではありません。
 文学はいかにして特殊から普遍を取り出すのか、そのひとつの見事な実例が、この本では詳しく紹介されているのです。
 私が理想としている評論です。

○『訴訟(審判)』は、これも以前にご紹介しましたが、『ポケットマスターピース01 カフカ』(集英社文庫)に、川島隆先生による全訳が入っています。
 原文に忠実でありながら、日本語としてこなれていて読みやすいという、とても難しいことが見事に両立されている、今後のスタンダードとなる素晴らしい名訳です。
 ぜひ、こちらで読んでみていただければと思います。すでに読んだことのある方も、印象が変わると思います。

○ 私事で恐縮ですが、5月7日に新刊が発売になりました。
『絶望読書──苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)です。
http://www.amazon.co.jp/dp/4864104875
 カフカの話も書いております。さらに他の作家についても書いています。
 内容についての説明をこちらに少し書きました。
http://ameblo.jp/kafka-kashiragi/entry-12152480564.html
 どうぞよろしくお願いいたします。

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頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)

筑波大学卒業。カフカの翻訳と評論などを行っている。
著書に、『絶望読書──苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)、編訳書に、『「逮捕+終り」─『訴訟』より』フランツ・カフカ(創樹社)、『絶望名人カフカの人生論』フランツ・カフカ(飛鳥新社 新潮文庫)、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』ゲーテ、カフカ(飛鳥新社)がある。
月刊誌『望星』(発行・東海教育研究所 発売・東海大学出版部)で、「落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ」を連載中。http://www.tokaiedu.co.jp/bosei/
『絶望名人』を平松昭子が漫画化した、『マンガで読む 絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社)も話題。

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