第十回 信念とサバイバル


 長らく納戸に押し込めたままになっていた乱雑にすぎる荷物の整理を始めてみたものの、アルバムを見つけて早々に中断。しばらく見入ってしまった。
 ページを繰るにつけ、物心つくまでの無邪気な様子に我ながら驚く。いまの自分にはまったく見あたらない、屈託のない笑みを浮かべている。
 亡母によれば街中や電車内で「抱っこさせて欲しい」と女性たちによくねだられたという。いろんな人の腕の中を巡りながら始終機嫌がよかったそうだ。確かにかつての私は非常に愛想のよい表情をしている。

 順々にアルバムを手に取るうちに、一葉の写真に目が留まり、息を飲む。退院したばかりの母を祝って一緒に写したものだった。
 母の病は全身性エリテマトーデス、広義には膠原病と言われる難病で、いまなお治療法は確立されていない。写真の彼女は薬の副作用による、いわゆるムーンフェイスの様相を呈し、非常に浮腫【むく】んでいた。寄り添う私に笑顔はなく、肩先と口元に緊張が走っている。3歳の終わり頃だ。
 久方ぶりの再会で駆け寄ったものの、しっかと抱きつくことをなんとなく避けた。母のあまりの変貌ぶりを受け入れられなかったからだ。私の態度は彼女を傷つけたろう。
 そう思いつつも、それだけでは片付けられないわだかまりがあったことに今になって思い当たる。私は慌ててページをめくり、以降の自分の表情を確かめ、そして得心した。やはり、この日を境に陰のある面持ちを宿すようになっていた。

 見慣れぬ顔つきとなった母に対する私の態度の根底には、これまで暮らしていた中で感じた温もりとは隔たった世界に彼女が足を踏み入れてしまうことへの拒絶があった。死への忌避と恐れが私に芽生えたのだ。同時に、このような自分の気持ちを知られてはいけないという思いも強く、そのぎこちなさが写真には映っていた。
 アルバムは、私が無邪気でいられる時代は早々に終わりを告げたということを物語っていた。この日を境に私は恐怖を学び、自分の身を守るために親と取引することを始めたのだと、今さらながら気づくのだった。

 多くの大人は恐れを媒介にした取引を生き延びるために採用しながらも、そのことを意外と自覚していない。打算を連想させる取引という語が親子の結びつきに差し入れられるとは、よもや思わないのだろう。
 しかし、幼い頃の私たちの表現はいつも必死だったことを思い返して欲しい。親の注目が自分から離れたり、見放されたと思った瞬間、どうして幼子はこの世の終わりでもあるかのように全身全霊で泣くのか。愛情を求めているとも見えるが、根底には親の庇護なくして生きられないことを本能によってしっかりと直感しているからだろう。
 生存を第一とする生物の本能に基づく行為に私たちが徹するのであれば、親子の取引はこじれることはないのだろう。
 けれども人間の場合、そこに社会や価値観という概念が立ちふさがることで、わだかまりが生じてしまう。

 動物である私たちは本来はじっとしていられない。拘束されるのを嫌がる。成長するにつれ、教室や会社等々、空間によって行動を変えなくてはならないと教え込まれる。規則や秩序という概念を身につけるにしたがい、一応は身を律することを覚えはする。それでも窮屈さは感じずにいられないから、時に羽目を外すことでバランスを取ろうとするのだろう。
 幼子の場合、拘束感への拒絶は非常に率直だ。だから親は苦労する。我が子にのびのび育って欲しいと思いつつも、電車やレストランで自由に振る舞われては、周りの迷惑になる。そこで巧みに取引を試みる。「静かにしていたらおやつをあげる」「いい子にしていないと怖いおじさんに怒られるよ」「言うことを聞かない子はうちの子じゃありません」。様々な言葉でコントロールを試みる。

 親の必死さが、その善し悪しはともかく、子供の全身全霊の行いとどうしても釣り合わないのは、それが社会規範に従って欲しいという願いから発しているからだ。 
 そして、子供に馴染んで欲しい規範は、親自身の価値観によって生まれる。これは「生きる上で何が大事なのか?」という問いを含むものではなく、「システムの中における正しい振る舞い」という結論から導かれることが大半だ。
 端的に言えば、そこには「私はそうやってしつけられ生きてきた。だからおまえもそうせよ」というメッセージが含まれている。

 こうした無自覚のメッセージは愛情やしつけといった形をとって現れる。確かに親には親の人生や事情があって、自分の価値観を身につけてきた経緯があるだろう。ひとつひとつに切実なストーリがあるのは間違いないとしても、極めて個人的な事情で選ばれた価値観ではある。それと子供との折り合いがつくように仕向けることを「愛情を持って子供と接する」と言ってしまう時、確実に見過ごされてしまうものがある。「愛」によって隠された意図があるのだ。
 「おまえのことを愛しているからだ」という言葉で正当化される過干渉、支配的な振る舞いが子供に重くのしかかり、自傷行為に走らせるケースがいかに多いことか。無自覚のうちに愛情という言葉が親に優位な取引を進めるために用いられる。愛を引き合いに、「私の望むおまえであらねばなければならない」と迫っている。それは愛ではなく、親の個人的なストーリーを子供に強いているに過ぎない。

 子供からすれば親の情だと信じたいのに諸手を挙げて受け入れられない。そのことに苦しみ、自責の念を抱えて自傷行為に走る。
 生き延びるという本能が、親の提示する価値観に対し働く時、私たちは社会的にサバイブする方法を学んでいく。それは「いかに家族の中で立ち回るか」というような、限定された条件の中での振る舞いになっていく。
 厄介なのは、閉じた家族の関係性の中でよしとされる価値観は、親のあからさまな態度で示されるとは限らないことだ。子供はサバイブするのに必死なため、大いに忖度するのだ。

 私の場合、最初の取引は母との間に交わされた。
 母の患っていた膠原病の病因は今なお不明だが、遺伝やストレスが引き金ではないかと言われている。ストレスについては思い当たる節はある。結婚生活だ。
 父はスサノオのような男で始終、怒っていた。荒ぶる神の怒りは何に端を発するのか、人間には見当もつかない。些細なことでも自分の好みに合わなければ怒鳴った。
 もともとスポーツが好きで健康かつ快活だった母はおおらかなところがあった。鷹揚さにはなはだ欠く父との暮らしが相当ストレスであったのは、想像に難くない。
 病を得てから床に就くことも多く、家事を行うのも難しい。皮膚は薄く破れやすくなり、軽く何かにぶつけただけで内出血を起こし、肌に青痣が浮かぶのはしょっちゅうだった。

 母の死を想像すると、胸のうちに不安が高まって息もできなくなり、体が強張った。死を理解するようになってからは、私は素直で無邪気であろうとした。恐らくは、両親の言うことに応じない、コントロールの及ばない兄の存在が念頭にあったからだ。彼はとにかくわがままな存在として扱われていた。やがて私も時に兄を軽んじる発言をするようになった。非常に主体的で行動力のある兄を、私は自分がサバイブするために犠牲にしたのだ。

 母は「それに引き換え、おまえはいい子だ」という言い方で誉めた。だから私はこう思った。「いい子にしていないと母に認められない」「認められないような存在であれば、母は死んでしまう」。
 だから私はいい子でなければならなかった。死という不条理な出来事を回避するため、そして自分が生き延びるための合理化がそのような理屈になった。これが母との間で結ばれた関係性だった。

 ふたつめの取引は父との間に交わされた。
 怒りに任せる父と比べて、私は怒ることが不得手だ。他人の言動に怒りを覚えても感情そのままを表すことができない。そのせいで「私は怒っている」と言葉で説明するといった、ロボットめいた言動をとる。
 さすがに幼少期は手加減されたのだろうが、スサノオのような父に4歳あたりから私も怒りをぶつけられるようになる。「なぜそんなことをするのか」「なぜそんなこともできないのか」と一挙手一投足について父は迫る。答えたところでこちらの言い分や心持ちが理解されるわけではない。ただ一方的に否定される。彼の正当性を証明するために怒られる。

 私は怒りに怯え、「自分が悪いのだ」とすぐに思い込み、その理由を自分に見つけてしまうようになり、やがて怒ることそのものに怯えるようになった。
 そうなるにも理由があった。そんな筋合いがないにもかかわらず、一方的に怒りをぶつけられることによって「怒りとは理不尽なものでしかない」と学習するようになったからだ。怒るという感情表現そのものに正当性を見出せなくなってしまった。
 もうひとつの理由は、「怒られるからには何か自分が悪いことをしたはずなのだ」といった、「いい子」にありがちなお行儀のいい理解をしてしまったことだ。
 自責や罪悪感が心の中に固い結び目を作ってしまう。怒りを覚えた途端に、そんな価値が自分にはないように思えてしまう。そうした自己否定の回路を養ったことで、いつしか私の中にある怒りすらも恐れてしまうようになった。

 本当は自分は怒られるようなことはしていないと知っていた。しかし、親の怒りを正当化しなければならない。親から独立して生きていけないからだ。それは死を意味する。見放される恐怖から理不尽さを引き受けるようになった。
 だから私は父と取引を交わした。見放されないために、怒られるに値する否定的な存在として私が私自身を扱った。
 苦しい状況を生き延びるために何も感じないようにする。ここにいながら自分の感情を切り離す。乖離した分、自分の中に虚しさが広がっていったように思う。

 両親との取引はやがて私の信念となり価値観となり、サバイブする原動力となった。自分を否定する価値観をなぜ積極的に採用するのか、腑に落ちない人もいるかもしれない。
 例えば「おまえは何もできないダメなやつだ」と言われ続けて育ったのならば、ダメな人間であることを証明し続けることが唯一認められる方法だと学んでしまう。否定されることがその人の唯一の評価となれば、当然それを生きる上での信念にしてしまう。これが社会や価値観という概念を相手に生きてしまう人間の問題だ。

 信念に基づいた生き方は世間では賞賛される。しかし、一皮剥くと生育環境の中で、それなしには生きられなかった切実さが張り付いている。なぜ己の信念と相いれない考えに対して、多くの人がいきり立って否定したがるのか。それは、そうでしか生きられなかった過去の痛みや悲しみが疼くからだ。他人事として分離できない、葛藤を招く。つまり、己の生き方に実はひとつも納得などしていないのだ。

 信念とは、生きる延びるために養ってきたストーリーと言い換えてもいいかもしれない。
 そして、重要なのはこうした考えもまた私が自分の過去を自分の信念に従って解釈したストーリーに過ぎないということだ。

  第九回へ

ページトップに戻る

尹雄大(ゆん・うんで)

フリーランサーのインタビュアー&ライター。これまでに生物学者の池田清彦氏、漫才師の千原ジュニア氏、脳科学者の茂木健一郎氏や作家の川上弘美氏、保坂和志氏、俳優の田中泯氏、ミュージシャンの七尾旅人氏、川本真琴氏、大川興業の大川豊総裁、元ジャイアンツの桑田真澄氏など学術研究者や文化人、アーティスト、アスリート、ヤクザに政治家など、約800人にインタビューを行って来た。ライティングに関わった書籍多数。著書は『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)ほか。
http://nonsavoir.com/

Web春秋トップに戻る