第十回


森の中の考えるサル

 赤い夕日に照らされた浜辺では、たくましい先住民の若者たちが男も女も一緒にサッカーをしていた。彼らはすでに服を着ている。サッカーボールに蹴散らされた無数の蝶が一斉に飛び立つ。また砂地に止まり、また蹴散らされ、人間の周りを所在なくひらひらと舞う。その様子を少し離れたところから頬杖をついて見守っているのは彼らのシンボル、考えるサル。人工的なゴミがひとつも落ちていない、生活排水で汚れてもいないエル・プラジョンには、木彫りの大きなサルが鎮座している。川と森が食べさせてくれる桃源郷みたいなところで、サルはいったいなにを思うのだろう。
 ベネズエラを流れ、大西洋に注ぐ大河オリノコ川。オリノコやアマゾンなどの大河は、血管のように大地を這い、南米大陸の大部分を流れている。オリノコ川の港町シウダー・ボリバルから車で道なき道を行けるところまで行き、さらにオリノコ川の支流であるカウラ川をボートで7時間ほど遡ると、ようやくサネマ族とジェクアナ族が暮らすエル・プラジョンにたどりつく。
 サネマはヤノマミの一部族である。ヤノマミ族はブラジルアマゾンの先住民のようなイメージがあるが、実はベネズエラの方が人口が多い。言語の違いと居住地によって、ヤノマミは4グループに分けられ、カウラ川流域に住むヤノマミはサネマと呼ばれている。エル・プラジョンの川側にサネマが、山側にジェクアナが住んでいる。特徴的な民族衣装を着ているわけではないので、ベネズエラの森の民を見た目だけで判別することはできない。
 当時、シウダー・ボリバルの旅行代理店で働いていた私は、5泊6日の視察旅行でエル・プラジョンを訪れた。ツアーオペレーターからツアーの販売促進と内容改善のために招待されたのである。オペレーターは先住民と結婚しているホナスというベネズエラ人男性。代理店のオーナーは「オペレーターはいい人なんだけど、あまりに段取りが悪すぎて積極的に売る気になれない」とこぼしていた。お客から苦情殺到のいわくつきツアーなのだった。
 まずエル・プラジョンは遠い。通常3泊4日のツアーの半分が移動に費やされる。おまけに借りた車が来ないと待たされ、やたらと食事の準備に時間がかかり、挙げ句にボートのモーターが壊れて予定日に帰れないと来たもんだ。南米が長い私はすっかり慣れっこで、むしろ先住民の人々と過ごす時間が長くなってうれしいが、夏の休暇に先進国から来た観光客はそうはいかない。しかし、私がツアー内容を改善した結果、先住民が観光客をあてにするようになってしまい、ペルーアマゾンで見た先住民のようにサネマもジェクアナも見せ物として裸踊りを始めたら申し訳ないという気持ちもあった。
 道なき道の果て、ラス・トリンチェラスは着いたとたんに、冗談みたいに停電した。シウダー・ボリバルからここまで車で半日はかかっている。この村は24時間電気があるわけではなく、本来はもっと遅い時間に村全体が消灯するそうだ。川辺に吊るした蚊帳つきハンモックに横になる。真っ暗なので星だけがたくさん見える。わずかな間に3つも星が流れた。コウモリが川面をかすめて飛び、ときどき魚のはねる音がした。
 ラス・トリンチェラスまでの道のりでは遠目にジャガーが現れた。途中でグアヒーバ族という遊牧民の村に立ち寄った。夜はハンモックを吊るして眠る柱と屋根だけの家では、ちょうど粉にしたユカという芋を火で煎っているところだった。まだ森はさほど深くない。この集落ではみんな服を着ている。それでも、ベネズエラ人の運転手は「グアヒーバは魔術を使う」と怖がってついに車から降りなかった。すでに精霊の棲む世界に入っているのだと感じた。

 エンジン付きボートでスピードを出すと、川はとたんに水ではないかのように硬くなる。ボートが水面に叩きつけられるたびにかなりの衝撃を受ける。オフロードを走る車とはまた違う疲れを覚える。
 エル・プラジョンまでの途中、ニチャレ村でいったん陸に上がる。珍しそうに、でも恥ずかしそうにしている子供たちにちょっと遠巻きにとりかこまれた。ちょうど煎っているところだったのだろう、頭にいっぱいユカの粉をくっつけたままの子もいる。村の中心には学校と病院、そして大事な現金収入源の民芸品屋がある。主力商品は森の木の実やビーズをつかったアクセサリーと天然の染料で染めた藤のかご。しかし、まったく商売熱心ではなく、店はほぼ開店休業だった。ここでは現金はさほど要らないのだ。
 つくりたてでまだ乾いていない半生カサベと焚き火であぶったバキロ(イノシシ)の足をごちそうになった。カサベとはすりおろして解毒したユカを干したせんべいである。この村では茅葺き屋根の上に干してあった。ベネズエラの食堂では保存が利くように乾燥させたものがパンの代わりによく出てくる。とてもおいしいとは言えない代物なので、手で割ってスープにぶちこんでふやかして食べていた。半生カサベはおいしかった。シロアリを入れて発酵させたピカンテ(辛味調味料)をつけて食べるとまた格別である。そして、ところどころに硬い毛が残ったままのバキロは、燻製のような木のいい匂いがして最高にうまかった。
 ジェクアナとはカヌーの民という意味なのだそうだ。子供たちが服を着たまま、大きな水しぶきをあげて川に跳びこんでいる。服はこの暑さで濡れていてもあっという間に乾いてしまう。木陰では弓矢の練習をしている子もいる。彼らは毎日遊びを通して、狩猟や漁労、採集を学んでいく。そんなに遠くない未来、遊び仲間と連れだって狩猟採集に出かけるようになるのだ。あるいはそれらは彼らにとっては遊びの延長線上にあると言ってもいいかもしれない。
 エル・プラジョンはスペイン語で大きな浜辺という意味で、その名の通りの場所であった。正面には川の合流点があり、恐ろしい勢いで水が流れこんでいる。ここまで来るとさすがに学校も病院もない。ニチャレ村にもすでにライフラインはなかった。電気・ガス・水道・電話はなくとも人は生きられる。「文明化」された人にとってはそれらは必要不可欠なものであるが、「未開」とされる人にとっては命綱(ライフライン)でもなんでもないのである。

 ベネズエラにはもう一箇所、ヤノマミと接触できるツアーがある。ベネズエラ最南部アマソナス州のプエルト・アヤクーチョからアマゾンジャングルへのツアーが出ている。ボートで川を3日行くと服を着ていないヤノマミ族に出会えるそうだ。しかし、これはかなりグレーゾーンである。奥地の先住民を訪ねるには政府の許可が必要なのだが、おそらくこのツアーでは許可が必要となる一歩手前まで踏みこむのだと思う。出会えるというよりも出くわすといった方がいいかもしれない。外部との接触が少ない彼らは抵抗力が極端に弱い。風邪をひいた観光客が来たばかりに集落が全滅するかもしれない。服を着ていないということは文明化されていないということで、彼らと意思の疎通がどこまでできるか不安がある。ヤノマミは本来、好戦的である。そして、同化されていない先住民は、外部との接触を嫌うものである。コミュニケーションを図る以前に、野生動物のように彼らを見かけるだけで終わってしまうのではないだろうか。
 事実、カウラ川の先住民たちも観光客を諸手を挙げて歓迎しているわけではなかった。ツアー一行が泊まるのは集落のない川べりである。3時間ほど山の中を歩いて訪ねた小さな集落は無人だった。バナナやトウモロコシなど作物が植えられていて、明らかに人が住んでいるのにもかかわらず、その姿だけがなかった。コーラの空き瓶が収まったケースが積まれた売店まである。おそらく彼らは森の中からこちらの様子をうかがっているのだ。
 山の中には5つの滝が連なった大きな滝があった。滝の真ん前にあるクジュビ村に入った。ここもジェクアナ族の村である。彼らも外部の人間が立ち入るのを嫌っているのだが、今回は視察だったため、特別に入れてもらえた。写真も最初は拒まれたのだが、デジカメで撮った村の子供たちの画像を大人に見せるととたんに相好を崩して撮影を許してくれた。
 村に入るとまずジャラケというユカでつくったどぶろくをごちそうになった。後にカナイマ国立公園のサバンナに住むペモン族の村を訪ねたときも、やはりすぐにジャラケが出てきた。これはペルーやボリビアの先住民が訪問客をトウモロコシのどぶろくチチャでもてなすのと同じである。歓迎の印にジャラケをふるまうのである。
 カナイマ国立公園のカナイマとは、ペモン族の言葉で悪い精霊のことだ。その姿は見えないが、ジャガーの大群を先頭で率いているのがカナイマなのだという。森でカナイマに出くわしたら最後、ジャガーに襲われて生きては戻れないとペモンは信じている。
 クジュビ村の女性は手足に青や白のビーズを巻いて、さらに植物の実の汁で腕に模様を描いている。子供たちの頬にもおてもやんみたいに小さな赤い丸が描かれている。それは森の悪い精霊を避けるための魔除けである。悪い精霊を避けるため、彼らは決して森の中を一人では歩かない。ペモン族に伝わるカナイマのように、部族ごとに精霊の話はあるはずだ。

 毎日朝食が終わるころ、数人のサネマの若者がやってくる。ツアーの後残った食料と引き替えに、彼らが洗いものをすることになっているようだった。彼らは片言のスペイン語を話す。彼らの名前もすでにスペイン風である。ノートの切れっぱしに日本語でひとりひとり、名前を書いてあげたらとても喜んでいた。彼らの言葉では、“はい”はアワイ、“いいえ”はプラなのだそうだ。カトリックを信仰している様子はうかがえなかったが、服も着ているし、スペイン語を話すことから察するに、ここにも宣教師が来たことがあるのだろう。
 私はこのとき、映画『ミッション』をふと思い出した。映画の舞台となっているのは、パラグアイの伝導所である。イエズス会は強制労働や奴隷狩りから逃れた先住民を保護した。先住民の奴隷制に反対するイエズス会は、植民地主義にとって邪魔でしかなかった。カトリック教国であるスペイン、ポルトガルは、イエズス会を国外追放するまでに至る。映画では国軍に攻撃され、先住民のグアラニー族とともに宣教師が殉教し、伝導所が制圧されるまでが描かれている。
 清廉潔白な者が私利私欲にまみれた者に滅ぼされる不条理がこの映画の見どころなのだろうが、私は幾分違ったことを考えていた。もし、グアラニーがカトリックを信仰してさえいなければ、アマゾンの森のもっと奥深くにまで逃げこめたのである。歴史的にカトリックは「カトリックに非ずは人に非ず」という考えだった。布教することは教育することであり、人ではない者を人にするということだ。宣教師がよかれとしてやったことは、先住民にとって余計なことだったのではないだろうか。布教したがゆえにグアラニーを難局に巻きこんでしまったように思えた。
 教育とは有益な情報を伝授するコミュニケーションである。そういう意味では、学校の授業も教会のミサもマスメディアも、教育の一環なのだ。人とコミュニケーションをとるということ、特に教育するということは、常に洗脳と啓蒙の狭間にあるのだと思う。その時代、その場所に、居合わせた者が誰しも啓蒙と信じて疑わなかったことが、後生になって洗脳であったと見なされることもある。同時代にあっても、ある場所で啓蒙とされることが、別の場所からは洗脳に見えることもある。
 先住民の社会に教育がないわけではない。狩猟採集や身を守るために必要なことは、すべて代々教わっているはずだ。生きていくための術を学ぶことが教育であるのなら、学校がなくてもそれはもう立派な教育である。ただ原始共産制社会と資本主義社会では、必要とされる知識が違うだけのことである。
 南米の森、特にアマゾンのジャングルには、同化を望まない、自ら孤立する先住民がまだまだいる。先住民によって殺される宣教師も開発業者も少なからずいた。以前は同化政策をとっていた政府も、近年は伐採者や採掘者が入れない区域を設けて彼らを保護する方向に転換している。
「ジャングルで獲れるものでなにが一番おいしいか」という私の質問にサネマの青年は、「ラパがうまい」と即答した。ラパとはウサギのようなネズミのような小動物だ。間髪入れずに答えるのだから、さぞかしうまいのだろう。木陰から時々オオトカゲも現れる。体長1メートルは軽くある。コモドオオトカゲに似ている。舌をぺろぺろさせながら、小さな恐竜のようにのっしのっしと歩いている。これもきっとうまいに違いない。珍しい生き物を見ても、食べられるのか食べられないのかをとっさに考えてしまう。
 サネマ族は朝夕釣りをする。釣り竿は使わず、太いナイロン糸に大きな針がついたのを使う。餌は小魚。一度に2匹を針に引っかけ、カーボーイの投げ縄みたいに頭の上でぐるぐる回して遠くまでぽーんと投げる。サネマは短時間のうちに実にあっさりと大きなモロコト(淡泊な白身魚)やジャケ(ナマズ)を手に、これで今日の仕事はおしまいとばかりに揚々と引き上げていく。ジャケ1匹をスープにすれば10人はおなかがいっぱいになる。
 一度、やり方を教わって釣りをした。カウラ川には電気ウナギもピラニアもいる。いったいなにが釣れるのだろうとわくわくしながら何回も糸をたぐりよせてみたものの、結局なにも釣れなかった。サネマが釣っているところを見るかぎりは簡単そうだが、やってみると難しい。小柄で若い母親が裸の赤ん坊を抱いて、ビギナーズラックに恵まれない私をずっと眺めていた。日もとっぷり暮れた。ついにあきらめて立ち上がると、彼女は「残念だったね」というように微笑みかけた。
 冷蔵庫どころか電気もないのだから、獲ったものはすぐに分けて食べる。ニチャレ村で気前よくバキロの足をくれたのは、余らせていてもじきに腐ってしまうからだ。みんながおなかいっぱいになるだけの食料を調達したら、その日の仕事は終わりである。なんてわかりやすいのだろう。誰のために、なんのために働くのかがはっきりしている。

 先住民の社会にはゲマインシャフト(地縁、血縁による自然発生的共同体)しかない。対して、私たちの社会はゲゼルシャフト(利益や目的を追求するための人為的機能体)が幾重にも入れ子構造になっている。国民として、都市生活者として、会社員として、学生として、一人にいくつもの役割が課せられる。求められる役割を果たすために、自分を型にはめなければならないことも往々にしてある。入れ子の中の、そのまた中の、さらにその中の、一番内側にあるもっとも小さな入れ子に縮こまっているのが自己なのである。
 先住民が食べているのは収穫物である。採れた果物も狩った獲物も釣った魚も自然の恵みだ。一方、私たちが食べているのは生産物である。農薬を使った見栄えのよい野菜や果物、すでに生き物としての原形をとどめていない食肉、抗生物質を使って養殖した魚。ヤノマミは自らが殺して捌[さば]いた生き物を口にするが、私たちはお金と引き替えに誰かが殺して解体した肉を買う。他の生き物の命を奪って食べることに、なんの実感もありがたみもない。
 日々、自分と家族と仲間が食べる物を獲っているかぎりは、誰も精神を病んだりはしない。誰を笑顔にするために働いているのかも明確である。そもそも先住民は狩猟採集することが労働だとは考えていないように思える。食べること、生殖すること。生きるということはたったそれだけなのである。そこには間引きや姥捨てもあるだろう。それでも、たくさん子供を産み育て、毎日家族と仲間をおなかいっぱいにすることだけ考えて生きていければ、どれだけ幸せなことだろう。
「ヤノマミ」とはヤノマミ語で「人間」という意味だ。雨季はほぼ毎日夕方から朝にかけて雨が降る。稲光が真昼のように一瞬ジャングルを浮かび上がらせる。雨上がりの森は緑が磨かれたようにきれいだ。その森に守られるようにして先住民が住んでいる。よそ者の侵入を見張るかのように、彼らの森の入り口である浜辺には考えるサルが座っている。
「ここを出てあなた方に同化するよりも、私たちは森の中の考えるサルでありたいのです」
 それは未開とされる人々の静かで強い意志そのものなのである。

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片岡恭子(かたおか・きょうこ)

1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、マドリッド自治州立コンプルテンセ大学留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。最近はスペイン巡礼路にはまっている。2009年はフランスの道800キロ、2010年はポルトガルの道250キロを踏破した。2012年現在、45カ国を歴訪。旅イベント「旅人の夜」主催。非リア充バンド、神聖かまってちゃんの大ファン。
ブログ 秘境散歩 http://ameblo.jp/kiokitok/
日記 中南米沈没日記 in 東京 http://kiokitok.jugem.jp/

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