第九回 「三つ子の魂百まで」を越えていくこと


 「三つ子の魂百まで」という俚諺【りげん】を聞くと、決まって思い出すのはアマゾンの奥地に住む少数部族「ピダハン」のことだ。彼らの魅力溢れる生き方についてかいつまんで話すことはとても難しい。ピダハンの生活観の特徴が表れているところを少し挙げるとすれば、彼らには宗教がない。数がない。「おはよう」も「ありがとう」もない。左右を表す言葉も色の固有名もない。手近なものを利用するブリコラージュはあっても、技術の練磨や伝承に関心がない。未来や過去の概念がどうも存在しない。
 無い無い尽くしで取り付く島がない。それで果たして、意思の疎通が図れるものかと怪しからん気持ちになるのではないか。「昨日の狩猟でどれだけの獲物がとれたか」であるとか「明日の食をどう確保すればいいのか」といった話を仲間にどのように伝えればいいのか。
 彼らがそれらについてどう答えるかわからない。しかしながら概念に慣れ親しんでいる私たちはその問いについて前もってこう言うこともできる。「杞憂」と。
 明日や昨日の概念がないのに、未来や過去について思い悩むことはできないだろう。明日のことは、その日のその場にならないとわからない。昨日のことは今のことではないため考える対象にすらならない。
 ピダハンのような無文字社会では、概念を手掛かりに過去を憂い、未来という幻影に怯えないで済む。常にただいまを生きていくほかないため、見てもいないことや思ってもいないことについて語ることがない。いまここを離れ、時間と空間を分断する必要がないのだ。その場でいま伝えるべきことを伝えるためなのか、ピダハンは老若男女を問わずおしゃべりが大好きだ。彼らのおしゃべり好きを示す逸話の中に、「三つ子の魂百まで」を考える上で大いに示唆に富むものがある。

 ある日、幼な子を傍らに母親がいつものように部族の女性たちとおしゃべりに興じていた。幼児はというと、鋭い刃物を振り回して遊んでいた。母親も話し相手も「危ない」と叱りつけたり、刃物を取り上げることはなかった。ふたりとも子供にとくべつ注意を払っているようには見えなかった。
 しばらくして、子供はうっかり刃物を落とした。すると母親はおしゃべりを続けつつ、息子に特に視線を向けることもなく、片手間にするような塩梅で刃物を拾い上げると再び子供に握らせた。

 私が何より腹に落ちたのは、「3歳で成人する」というピダハンの共同体の習わしだ。数の概念も危ういのだから、3歳というのは外部の観察者から見たおおよその目安で、ヨチヨチ歩きを卒業した頃には成人を迎えることを示している。
 もちろん3歳になったからと言って、狩猟や採集を一人前にできるわけではない。親や部族の成員たちの保護や助けは欠かせないだろう。では、何をもって成人したというのか。
 刃物のエピソードから思うに、おそらくピダハンは3歳までに自己実現を果たすのだ。つまり生まれ落ちて3年のうちにあらゆる主体的な行動に対し咎め立てされることなく、自己満足を得て、肯定感を味わい尽くす。そのあとの人生については、他人に承認を求めることを主要なテーマとしないのだろう。

 翻って私たちはどうか。幼いうちは刃物を持とうとすれば、きっと「危ない」と取り上げられるだろう。何が危険で、何がそうではないのか。体験して初めて理解できる機会は丁寧に取り除かれるだろう。それは子を思う親心の発露ではある。
 しかし、親の心に宿るのは愛情だけではなく、「社会からの要請に従って欲しい」という魂胆もある。「ともかく現状の社会に合わせて生きられるように育つことが良いことなのだ」という価値観と信念を一度も疑うことのない親のもとで育てられれば、子は愛情を受けられるかもしれないものの、完全に満足を得ることもないまま20歳を迎えるだろう。成人して初めて今まで叶えられなかった肯定感を得るための自己実現を果たそうとする。承認欲求を満たすべく、他者依存を図るようになる。文明社会の自立は、いつか達成されるべき努力目標であって、決して実現されないものとなる。一方、ピダハンにあっては自立は生きる上での前提でしかない。

 「三つ子の魂百まで」はかなり汎用性のある諺【ことわざ】ではある。しかしながら生まれた環境を選ぶことができないにもかかわらず、それで後々までが決定されてしまうことに残酷さを感じもする。
 生まれ落ちた土地の気候やそこで話されている言葉、培われてきた人々の身のこなしなど、環境は私たちがこの地で生きていく上での足腰を養うものとなるのだから、選択のしようがなくともまだ納得はいく。生活の柄を決める風土や言語、所作は一個人を超えたものであり、自然に応じて発生したものだ。誰かが計画して作ったわけではなく、人為の及ぶところではないのだから。
 同じく選びようのない環境ではあっても、血を分けた家族に関しては容易に肯定できない、複雑な思いを抱かざるを得ない。核家族の時代では、概ねふたりの大人が関わるだけの閉じた環境で私たちは育つ。どの親も「子供のため」を考え、愛情と優しさをもって接しているかもしれない。そうであっても、この社会が常識とする人生観はピダハンのそれとは違う。子供が20歳になるまで自己満足を得て自己実現を果たすことを、教育という名の下に阻むのを当然としているならば、幼い時代はなかなか過酷な体験となるだろう。というのも、私らしくあることよりも社会に適応することを第一義にしてサバイブしないといけないのだから。これは虐待をしているような家庭での出来事ではない。平凡な家族でごく普通に起きている現実だ。

 いつの時代も家族の形は、いま私たちが目にしているようなものとして存在したわけではない。当代、ごく限られた体験しか持ち合わせていない大人が子供を抱え込むことを、あたかも自然であり、連綿と続いてきた伝統的な家族であるかのように見なしている。
 しかし、つい6、70年ほど前まで、たとえば郷村【きょうそん】であれば家族の枠は今よりずいぶん広かった。子を育てるのは基本的に祖父母の務めであったし、近隣の人々がそこに関わるのも当たり前だったことは、古老の話や様々な書が伝えるところだ。常日頃から親よりも多くの体験をしている複数の大人が子供に関わるのは当然であり、まして育児書に従って「まともな人間に育てる」などという発想も行き渡ってはいなかった。子供は限られた人間と思想に囲い込まれることはなかった。

 「昔はよかった」と言いたいわけでもなければ、現状の社会の雛型である家族像への恨み言を綴りたいのでもない。それに近代以前の日本も、ピダハンと同じとは言わないまでも、子供のやりたいようにさせていた。幕末に日本を訪れた西洋人の少なからずが、何をしようとも子供を全く叱らないで可愛がる大人の姿を記している。家畜と同様、子供を厳しくしつけることを普通に行っていた文化の人間には、「七つまでは神のうち」を地でいくような光景は驚くべきものだったようだ。
 そうした時代がかつてあったにもかかわらず、現状がこのような様であるとすれば、それなりの事情があったのは間違いないだろう。
 かつて子供は家族の、そして共同体の小さな成員として、家事から子守りまで子供なりにできる日々のやり繰りに参加していた。近世に覆いかぶさるように近代化が始まると、かつての子供の日常への関わりは「労働」であると見なされ、一日の多くをそれに費やすのであれば、親と会話する間もなければ、特別注意を払われることもない。それは愛情不足やしつけの欠如として捉えられるようになった。
 そのような見方が力を得るようになると、従来の家族のあり方は捨て去るべき旧弊であり改善すべき問題として映り出す。子育ては両親が関わるべきであり、慈しんで育てるものだという見方が常識になり、それが「まともな家族」なのだと多くが思う頃には、ハウスメーカーの提供する「団欒する家庭」のコマーシャルイメージにすっぽり当てはまるような家族を人々は夢見るようになった。そうして古い家族を脱したものの、その後の顛末はありていに言って家族の漂流だった。

 かつてカウンセラーの信田さよ子さんに取材した際、「まともな家族なんてコマーシャルの中にしかありませんよ」と喝破された。コマーシャルにおいて、「まともな家族」は時にすれ違いがあったとしても、愛情を軸に親密な関係を確かめあっている。互いを思い合っている。
 信田さんはDVや虐待、摂食障害といった家族の軋轢から生じた様々な問題を扱ってきた。それらを通して見えてきた家族の現実は、むしろ愛情と親密さがもたらす弊害に溢れていた。「まともな親」のもとで「まともな人間」として育てられてきて、まったく自己肯定感がないまま、ひどく自らが損なわれたと感じて生きている人は少なからずいる。
 そういう家族には、「本当の愛情がない」ということもできる。そうすれば、また私たちはいつか達成されるべき愛情を思い浮かべて努力するだろうか。「本当の愛情」というとき、私たちは理想の愛情という概念を実行しようとしているに過ぎない。
 件【くだん】のピダハンの母親の振る舞いは、私たちからすれば愛情と名づけにくい。なぜならピダハンの行為には、「私はあなたのためを思ってする」という重さが感じられないからだ。ささやか過ぎて手応えがない。まともであろうともしなければ、愛情を言い訳にしたコントロールにも行き着かない。

 20歳を超えてから自己実現を果たそうとする社会にあって、「まともな家族」とは「いつか実現されればいい」と期待を寄せる像でしかない。そうして良かれと思って築いてきた新しい家族における愛情はしがらみと葛藤を、しつけは自立の阻止を生んだのだと、もはやはっきりと言っていいのだと思う。
 そんな状況で「三つ子」のうちを過ごしてしまったのであれば、魂のあり方は百まで決定されたかもしれない。だからと言って、決まった通りのストーリーしか歩めないわけではないはずだ。間道【かんどう】を抜けることはできるのではないか。それには家族が用意し、うかつにも私が選んでしまったストーリーとは何かを知る必要がある。

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尹雄大(ゆん・うんで)

フリーランサーのインタビュアー&ライター。これまでに生物学者の池田清彦氏、漫才師の千原ジュニア氏、脳科学者の茂木健一郎氏や作家の川上弘美氏、保坂和志氏、俳優の田中泯氏、ミュージシャンの七尾旅人氏、川本真琴氏、大川興業の大川豊総裁、元ジャイアンツの桑田真澄氏など学術研究者や文化人、アーティスト、アスリート、ヤクザに政治家など、約800人にインタビューを行って来た。ライティングに関わった書籍多数。著書は『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)ほか。
http://nonsavoir.com/

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