第九回

変人科学者と仲間がおりなす戦争コメディ

―― 「謎の要人・悠々逃亡!」

 第二次世界大戦下、ナチス・ドイツの捕虜収容所から連合軍兵士が脱走する物語といえば、ジョン・スタージェス監督の『大脱走』(63)がよく知られているが、一九六一年に作られ日本では六二年に公開されたイギリス映画『謎の要人・悠々逃亡!』(60)も忘れてはいけない。
 日本ではあまり知られていない俳優ばかりの地味な映画だが、実によく出来たコメディ。収容所という重い場所を舞台に、大いに笑わせる映画になっている。
 イギリス式のビターなユーモアにあふれている。コメディだから当然のごとく人が殺されることはない。残虐な場面もない。捕虜の話なのにいたって楽しい。大人の寓話といえばいいだろうか。
 監督は、のちに快作『素晴らしきヒコーキ野郎』(65)を作るケン・アナキン。『史上最大の作戦』(62)では連合国軍側を担当している。

 原題は“Very Important Person”。つまりVIP。第二次世界大戦のさなか、イギリスの高名な科学研究所の所長、ビーズ卿なる重要人物がドイツ軍の捕虜になる。イギリスにとってはVIPなのでなんとしても救出したい。そこで収容所にいるイギリス兵の捕虜たちが一致協力してビーズ卿を無事に収容所から脱出させることになる。
 愉快なのは、この要人がいたって変わり者であること。いわゆる学者馬鹿で、専門の科学には滅法強いのだが、他人との協調性がまったくない。周囲のことなどお構いなく、わが道をゆく。おまけにひげもじゃの肥大漢。だから尊大傲慢に見える。
 「あの男を好きになる人間はひとりもいない」とは近くにいる人間の評。こんな男のために、イギリス兵の捕虜たちが、命がけで脱走の手助けをすることになる。嫌々ながら。このシチュエーションがまず笑わせる。
 演じているのはイギリスの個性派、ジェームズ・ロバートソン・ジャスティス。『白鯨』(56)『ナバロンの要塞』(61)『素晴らしきヒコーキ野郎』などに出演している。
 準主役か傍役だがなにしろ太っちょなので出ているとすぐ分かる。この映画では珍しく主役。観客を大いに笑わせるのに本人はにこりともしない。つまり、笑わせる気などない。本人は大真面目なのに周囲とあまりに波長が合わないので、そのズレで観客は笑ってしまう。ちなみに女性はほとんど出てこない。

 現代から始まる。テレビの有名人ショウにこの要人が出演する。関係者が次々に登場し彼のことを誉め称えるという番組だが、本人は少しもうれしそうではない。仏頂面をしている。サービス精神などまるでない。
 出演する関係者たちも楽屋で「あんないやな奴はいない」と悪口を言っている。もっとも本人はそんな悪口など何とも思っていない。馬鹿どもがくだらぬことを言っているとあくまでも超然としている。
 さてそこで、この男、何者なのかと物語は第二次世界大戦中にさかのぼる。「英国の頭脳」と言われるほどの天才で兵器の開発に関わっているから政府は彼を丁重に扱っている。
 ドイツとの戦いが不利になっている折り、この要人はレーダーの新兵器を開発する。そして実戦で試してみたいと無理をいって小型爆撃機に乗り込み、敵地に入り込む。
 「俺が乗った飛行機は絶対に撃たれない」と豪語していたのに、たちまち敵の対空砲火を受ける。機体に大穴が開き、巨体の要人はあっというまに外へ。
 気がついたらパラシュートが木に引っかかり、枝に宙づり状態。ドイツ軍の捕虜になってしまう。なんとも間抜けな話だが、本人に反省の色はまったくなく相変らず協調性がない。捕虜収容所に入れられ、イギリス兵のリーダーたちに面会しても敬意を表さない。上官なのにサーと言わない。リーダー二人が新参者のこの要人の身許調査をする。いろいろと質問する。
 スポーツについて質問されると「そんな馬鹿馬鹿しいものには興味がない」と平然としている。「それでもお前はイギリス人か」と迫られると「なんならイギリスにいる蝶の種類をすべて言ってみようか」と切り返す。完全に学者馬鹿。常人から見れば困った変人。このあたりのズレがいたるところに起こり、笑いを生んでゆく。
 収容所の部屋に割り当てられるが、たちまち仲間の嫌われ者になる。なにしろこの要人、女好きのクーパー(レズリー・フィリップス)がとっておきの女のヌード写真を見せてもなんの興味も示さない。なんとか脱走しようとひそかに穴を掘っているスコットランド人のエバレット(スタンリー・バクスター)が穴掘りの仲間に入らないかと誘っても相手にもしない。
 およそ協調性がない。きわめつきは――、
 エバレットがどこからか古新聞を見つけてきて、そこにまっさらのクロスワード・パズルがあるのを知って「これで一週間は楽しめる」と大喜びする。収容所のなかは退屈だからクロスワード・パズルは最高の暇つぶしになる。
 ところが「英国の頭脳」たる要人はエバレットの留守中に、その「一週間は楽しめる」パズルをあっというまに完成させてしまう。空欄が埋められてしまったエバレットの嘆くこと。これではみんなに嫌われても仕方がない。

 無論、要人に悪意はない。ただ、あまりに浮世離れしているので他人と波長が合わないだけ。よく見れば愉快な人物。
 さらに笑ってしまうのは――、
 点呼の時、収容所長の前でもなにやら難しい本を平然と読んでいる。侮蔑されたと思った所長が要人の顔にビンタを食らわすと、要人は「捕虜虐待を禁じたジュネーヴ協定を知らんのか」と怒り出し、所長の脚を蹴り上げてしまう。イギリス兵たちは思わぬ展開にやんやの喝采。ただ、周囲の状況が分かっていないだけのことだったのだが。
 所長を演じているのは、穴掘り好きのエバレット役のスタンリー・バクスター。イギリスのテレビ界で活躍している人気コメディアンという。
 イギリス兵の捕虜とドイツ人の所長。この一人二役が、あとの脱走計画で効いてくる。

 イギリス兵たちは、はじめ、この太っちょの変わり者が要人とは知らない。しかし、ある時、ロンドンから収容所内のリーダーのところに暗号通信が届き、彼がイギリスの重要人物だと知らされる。
 しかもイギリス政府は国家のために要人を一日でも早く脱走させるようにと命じてくる。そこで要人脱出計画が練られる。要人は相変らず協調性がなく、イギリス兵たちは嫌々、協力してゆくことになる。
 彼らも要人同様に個性派揃い。
 戦争が終ったら笑いの芸人になると、しょっちゅう相棒と下品なジョークを飛ばす男(もちろん、誰も笑わない)。女装が大好きで演芸大会の時に喜んでラインダンスを踊る男(収容所のなかで演芸会があるのだからのんき)。穴掘り好きのエバレットはスコットランド人であることに誇りを持っている。だから収容所長に「イギリス人のブタ」とののしられると「オレはスコットランド人のブタだ!」と怒り出す。
 演じている俳優たちは日本ではなじみがないが全員、愉快な連中で笑いを盛り上げる。収容所のなかだというのに!
 この収容所、所長が威張っているわりに間抜けのせいか、のんびりしている。捕虜たちはホッケーを楽しんでいるし、前述したように演芸大会も開かれ男どもが女装でラインダンスを踊る。それをドイツ人の所長も鑑賞する。このあたりの、のんきさはコメディならばこそだろう。

 さていよいよ脱走。
 要人がかねて「正面から堂々と脱走する」と豪語していたとおりになる。収容所にはジュネーヴ協定が守られているかどうか定期的に国際赤十字の人間が三人、視察に来る。
 彼らが来た日、三人になりすまして正面から堂々と出てゆく計画を立てる。イギリスの捕虜のなかには、よろず屋のような調達の得意な男もいるし、身分証明書の偽造が得意の男も、仕立てが出来る洋服屋もいる。変装は簡単に出来る。
 ここで穴掘りの得意なエバレットが外見がよく似ているというので所長に変装する。「ばれたら殺される。怖い。嫌だ」というエバレットを仲間たちがなんとかなだめすかして所長に変装させる。
 ひげを付け、めがねをかけ、帽子をかぶり、軍服を着ると所長にそっくり!(一人二役だから当り前ですね)。
 決行の日。赤十字のメンバーに変装した要人をはじめ三人と、所長に変装したエバレットの計四人が門に向かって歩いてゆく。無事に外に出られるか。コメディだがここは、はらはらさせられる。全員が死に物狂いなのに例によって周囲の空気が読めない要人が赤十字のメンバーになったつもりで悠然と「食堂でも見学してゆこうか」と他の三人をびくびくさせるのも可笑しい。

 脱走は成功。そして最後、再び戦後のテレビ番組の場面へ。偉い人間が関係者として登場した時には仏頂面していた要人が、かつての収容所仲間が現われた時には思わず笑顔(といってもひげもじゃだから完璧な笑顔ではないが)。
 穴掘り好きのエバレットが戦後は葬儀屋になって成功したというオチがまた笑わせた。

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川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京生まれ。東京大学法学部卒。評論家。『大正幻影』でサントリー学芸賞、『荷風と東京』で読売文学賞、『林芙美子の 昭和』で桑原武夫学芸賞、毎日出版文化賞を受賞。『銀幕風景』(新書館)、『現代映画、その歩むところに心せよ』『ロードショーが150円だった頃』(いずれも晶文社)、『きのふの東京、けふの東京』『ミステリと東京』『マイ・バック・ページ--ある60年代の物語』(いずれも平凡社)、『いまも、君を想う』『君のいない食卓』(いずれも新潮社)、『小説を、映画を、鉄道が走る』(集英社)ほか、著書多数。

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