最終回 マインドフルネスとレジリエンス


被災地を尋ねながら

 仏教瞑想に起源をもつマインドフルネスがこの数年の間に大きな流行現象になってきました。NHKや日経サイエンスなどで取り上げられたことや、グーグルなどの企業研修で採用されていることなどがブームに火をつけたようです。脳科学的な研究が進んできたことも支えになっています。『精神科治療学』という専門誌でも「マインドフルネス―精神科治療への導入と展開」という特集が組まれ、そこで「マインドフルネスの誤用による有害反応への予防と対策」というテーマで特集の最後を担当させて頂きました。そこにも書いたことですが、伝統仏教の瞑想指導者としての私は、「流行はやり廃れすたれに関係なく、目の前で出会うことの一つ一つを大切にして、その時々にやるべきことに心をこめてやってゆくだけだ」という気持ちです。
 3人の筆者によるこの特集が始まってから6年目になります。東日本大震災のすぐ後のことでした。途中に長い中断がありましたが、それぞれに大きな影響を受けていたからだと思います。私はスピリチュアルケアを実践し教育している者として、そして仏教瞑想修行者として、東日本大震災の復興支援に関わらずにはいられませんでした。家のある山梨と大学のある高野山を毎週往復しているため、最初に被災地に入ることができたのは発災から3か月後の6月中旬のことでした。
 現地の人に案内して頂いて訪れた避難所の一つに、金華山を見渡す高台の小学校がありました。校庭の端から金華山につながる美しい景色を眺めていると、「お兄さん、こんな時に観光に来たのかい?」と避難所に身を寄せていた漁師さんが声をかけてきてくれました。「まあ、そんなところですかねぇ…」と答えると、「あの次の朝の海も、こんなふうに静かできれいな海だった。前の日のことが嘘だったようで…」私たちはしばらく黙って海を見つめていました。
 その時ふと、沖縄の姫ゆりの塔で語り部の“おばあ”から聞いた話を思い出しました。
 「戦争の終盤、たくさんの死体が海岸に打ち寄せてきて、あんなに好きで毎日通っていた、海が見られなくなった…」
 私の中で、沖縄の海と三陸の海が重なって見えてきました。そして「戦後の日本がやり残してきた問題をやり直すための最後のチャンスが、この津波からの復興にかかっている」というヴィジョンのようなものが湧いてきて、一瞬どこにいるのかわからないような不思議な感覚に包まれましたのをよく覚えています。
 南三陸町の個人ボランティアセンターでは、「何が必要ですか?」と尋ねた時、「喪服と太鼓」という答えが返ってきました。すべて流されてしまったから、お葬式をする時の喪服がなくて困っているのだそうです。東京で復興支援のボランティア団体を立ち上げた友人に連絡して、喪服を送ってくれるようにお願いしました。「なぜ太鼓なんですか?」と尋ねてみると、がれき拾いから帰ってきた漁師さんがこんな話をしてくれました。
 この地域は、50年に一度は大きな津波に襲われる。この前のチリ沖地震津波の時には中学生だったが、お祖母ちゃんを背負って逃げた。その後で地元に創作太鼓のチームができて、「津波復興太鼓」という楽曲を作ってもらって伝えてきた。そして今度の津波では親父を背負って高台に駆けあがった。津波の後、太鼓隊の子どもたち全員の姿が確認できた時、「これであの曲を伝えていける」と思ったが、肝心の太鼓が全部流されてしまった。だから太鼓が欲しい。
 私は高野山に戻ってこの話を伝え、太鼓を復活させるお手伝いができるようにお願いしました。おかげさまで9月下旬には太鼓を寄贈することができ、その太鼓で彼らは慰問に訪れてきたエグザイルなどのミュージシャンたちと共演することができたそうです。

太鼓

 最初にその太鼓を打とうとした時、「俺たちだけ生き残って、太鼓なんか叩いていいんだろうか?」という戸惑いもあったそうです。でも、思い切って叩いてみると、涙が流れてきて、そのうちに汗も出てきて、叩き終わったらすっきりして、「やっぱりこの太鼓だ」と思えたというお話に心を打たれました。それから3年後、高野山が開創1200年を迎えた年の4月、彼らはお礼参りとして高野山を訪問してくれました。伽藍の金堂と大塔に囲まれたスペースで、あの「津波復興太鼓」を奉納演奏してくれました。
 今年の3月に訪問した時には、高台に移転した南三陸病院とケアセンターが完成していて、初めてマインドフルネスの研修をさせて頂きました。これまでは、ただ黙ってお話を聴かせていただくことを中心にして被災した地元の皆さんと接してきたのですが、太鼓隊の皆さんが高野山を訪問してくださった時に、「ところで、先生の専門は何なの?」と尋ねてくれたので「マインドフルネス」と答えると、みんなで声を揃えて「マインドフルネス」と唱和してくれたのを機に、「そろそろ自分の専門分野を出しながら支援させて頂いてもいいかなぁ」と思えてきたからです。今回は、病院の師長さんたちとケアセンターの職員さんたちが集まってくれました。
 マインドフルネスを体験して頂いた後で出てきた質問は、「クレームに対して、どう対応したらよいのか?」ということでした。震災後5年が経過して、これまで黙って頑張りながらため込んできたものが、優しくしてくれる看護師さんや保健師さんたちに向かって、少しずつ漏れ出し始めてきているようでした。私は、回復の段階の一つに「怒りのステージ」があることを説明しました。そしてクレーム対応のポイントについて簡単に説明しながら、今年は夏休みにもう一回「マインドフルネス」でボランティア訪問したほうがよさそうだなぁと思いました。

思い出すことから気づきへ

 マインドフルネスの原語は、ブッダの教えを伝える経典言語パーリ語のsatiです。サティは、「思い出す」という動詞の名詞形ですから、記憶、憶念あるいは「思い出すこと」と訳されてよいものです。漢訳経典では「念」と訳されてきました。忘れないようにしておく心の働きです。西洋に仏教が伝わる過程で、サティの英訳がマインドフルネスに定着したのは百年くらい前のことで、それまではいろいろと試行錯誤されていたようです。言い換えれば、サティの内容がどんなものなのか、西洋の研究者たちにとってはとても分かりにくい状態だったのでしょう。これは、これまでの日本の仏教界にとっても同じことが言えるかもしれません。しかし、それはブッダの教えの本質です。
 「念」と訳されてきたブッダの教えの中核であるマインドフルネスがいったい何を意味するものなのか、皆さんに体験してもらえるように考案した思考実験があります。いろいろなことを思い出してみながら、思い出す対象との時間差を次第に短くしてゆくものです。次のような指示に従って、自由に思い出してみてください。

「5年前の出来事で、すぐに心に浮かぶものは?」
「1年前の出来事で、すぐに心に思い浮かぶものは?」
「1か月前の出来事では?」
「昨日の出来事では、何が思い浮かびますか?」
「1時間前にしていたことは?」
「1分前は何をしていましたか?」
「1秒前を思い出してみましょう」
「1秒前を思い出し続けようとすると、どんな体験になりますか?」
 
 1秒前を思い出そうとすると、思い出そうとするだけで時間が過ぎてしまって、具体的なことを思い出すことができません。「私」を主語にした意識状態で、「いつ、どこで、なに」をしていたのかを思い出すためには、1秒では足りないのです。こうして1秒前を思い出し続けようとすると、呼吸の感覚のような、今ここの身体感覚の流れに触れるだけの体験になります。それを「純粋体験」と呼ぶ人たちもいます。この連載の第5回目で、戸高さんが「今ここの瞬間」として図示して下さったような体験です。
 言語的な「私」を主語にして考える意識レベルでは、少なくとも3秒くらいの時間をかけなくては「私が、いつ、どこで、何をしていたのか」を思い出すことはできません。これは音楽を聴くような体験にも言えることです。マインドフルネスに関するブッダの教えをまとめた経典であるサティパッターナ・スッタ(念住経、気づきの確立に関する教え)では、呼吸、姿勢、日常の行為、身体の部分、身体感覚、心の状態などについて繰り返し見つめてゆくことが説かれています。呼吸を中心として、日常体験のすべてを繰り返し見つめてゆくことによって、日常における「私」レベルでの意識体験と純粋体験の間を意識的に往復して見つめられるようになってゆきます。すると、「私」が生きているとだけ思い込んでいたものが、いろいろなものに支えられて「私」は生かされていたのだということに気づく瞬間がやってきます。マインドフルネスが生命現象の諸相を繰り返し見つめる作業の中で導いてくれるこうした体験を、私は「意識の微分体験」と呼ぶことにしています。
 「念」という字は、「今」と「心」という部分から成り立っていますが、サティは、今ここで何が起こっているのかに気づくこと、そして生かされている「いのち」の真実を忘れずに「今ここ」を大切にして生きてゆくことを教えてくれるのです。

内呼吸と外呼吸

ミトコンドリアの電子顕微鏡写真ミトコンドリアの電子顕微鏡写真

 マインドフルネスの基本トレーニングは、呼吸を感じて見つめてゆくことです。呼吸を数えたり、コントロールしたりするのではなく、その時の状況に合わせてこの身体に現れてくる呼吸を、ありのままに感じて見つめてゆきます。吸う息と吐く息の温度や湿度の違い、吸い始めと吸い終わりの感覚、一回一回の呼吸の長さや短さ…。すべての呼吸が一期一会です。こうして観察してゆく呼吸は、鼻から肺のあたりを中心に行われている外呼吸と呼ばれているもので、酸素を取り入れ二酸化炭素を排出するガス交換です。呼吸にはもう一つ、内呼吸と呼ばれるものがあります。肺で取り入れた酸素をヘモグロビンによって全身の細胞に運び、細胞内のミトコンドリアで熱や運動エネルギーに変えるエネルギー代謝です。そのミトコンドリアは、人類の歴史や生命の歴史を私たちに伝えてくれるとても重要な役割を果たしてきたものです。

 マインドフルネスで呼吸を見つめる訓練をしていると、自然に外呼吸の感覚から内呼吸に関連する微細な全身の身体感覚へと意識が開いてゆくことがあります。戸高さんや篠宮さんたちは、登山やダイビングの極限状態の中で体験的に意識できるようになってきているものではないかと思います。今回の連載で、私が戸高さんや篠宮さんにご一緒して頂きたいと思ってお声かけさせて頂いたのは、お互いに違う領域で活動してはいますが、生命のギリギリの領域で呼吸に触れるという体験をしたことのある者でしかわからない何かでつながっているような気がしたからです。
 ヨーガでクンダリーニが覚醒するような体験をする時や、経絡や気の流れを感じ取ることができるようになる時にも、そうした微細な身体感覚が開くのではないかと思います。こうした微細な感覚が開かれる時には、光が見えたりするような神秘的な体験をすることも少なくありません。マインドフルネスの特徴は、そうした神秘体験に付随する人間的な欲望や興奮や不安などを含めて、善悪の価値判断にとらわれることなく、起こってくることをありのままに見守り続けることにあります。

映し合い響き合う自と他

 マインドフルネスのもう一つの特徴は、呼吸、姿勢、日常の活動、身体感覚、心の動きといったあらゆる対象を、自分の呼吸がどうなっているのか、他人の呼吸がどうなっているのか、自他の呼吸がどのように関係しあっているかについて、自・他・自他という3つの視点から観察するところにあります。私はその3つのモードについて、主観的観察、客観的観察、間主観的観察と呼ぶことにしています。
 呼吸を中心としてあらゆる対象をこれら3つの視点から観察する理由は、「私」という観念が人間関係の中でどのように形成されてくるかについて自然な気づきが生まれるように導かれるからだと思います。3つの視点から繰り返し見つめることによって、「個人と個人の間に関係性が発生する」という一般的な考え方から「関係性というマトリックス(母なる海)から個人という仮想的な泡が浮かび上がっては消えてゆく」という見方に誘われてゆきます。これは認識論におけるコペルニクス的転回です。そしてミラーニューロンの発見を通して、こうした捉え方の方が現実に近いであろうことが科学的にも検証され始めています。

スピリチュアルな器としてのマインドフルネス

 相手のある動作を見た時に発火する脳のニューロンは、自分が同じ動作をする時に発火するニューロンと同じであることから、鏡のように映し合うという意味でミラーニューロンと名づけられる神経結合のあることが20年ほど前に発見されました。ミラーニューロンのおかげで、私たちは他人の動きを見ると同時に相手の意志を感じ取ることができる仕組みになっているのです。こうして映し合う脳の働きによって、私たちは共感し合うこともできますし、その響き合いの中で自己イメージも作られてゆきます。科学的に発見されたのはごく最近のことですが、ミラーニューロンの働きによる人間的な活動の特徴については、演劇に関する研究やブッダの観察の3視点など、気づいていた専門家たちは少なくなかったようです。
 「息が合う」とか「息を合わせる」という表現があります。これは呼吸を媒介として私たちが深くつながり合い響き合いながら共に生きていることを教えてくれているのだと思います。ブッダの場合は、断食や息こらえなどの苦行の中で体験した極限状態を含めて、自分の身心を実験場として、あらゆる視点から生命現象とそこに生まれては消えてゆく「私」という観念を観察し尽くことによって解脱を得た体験から、これら3つの視点の重要性を教えてくれたのではないかと思われます。

宇宙の果てを探して

 古い経典の中で、現代のSFではないかと思われるような内容を伝えるものに「赤馬経(ローヒタッサ・スッタ)」があります。これは、「宇宙の果て」に関する、ブッダとある神様との対話です。ローヒタッサという名の神様は、直前の生涯で、一瞬のうちに空間を一跨ぎする移動能力をもった仙人に生まれ、宇宙の果てを探し求めて休むことなく歩き続けました。現代で言う、時空のひずみを利用したワープに似た移動方法です。しかし、彼は宇宙の果てに到達することができないままで命終し、神様に生まれます。そして、前世から抱えてきたテーマについてブッダに「宇宙の果てに到達することはできるのでしょうか?」と問います。
 この問いに対して、ブッダは「宇宙の果てには歩いたり移動したりすることによっては到達することはできない。しかし、宇宙の果てに到達せずにこの人生の苦しみを終わらせることもできない。ローヒタッサよ、私は、両手を広げればちょうど身長の長さになる、皮膚に覆われたこの身体において、宇宙の果てと、宇宙の果てに到達する方法と、人生の苦しみに終わりをもたらすことについて説くのである」と答えます。
 私たちは向こう側に宇宙の果てを求めるものですが、私たちが宇宙とは別なものであるとするならば、宇宙の果ては向こう側だけではなくこちら側にもあるのであって、その境目であるこちら側の宇宙の果ては、自分と宇宙とを隔てるこの皮膚において観ることができるという答えです。ブッダの説いたマインドフルネス瞑想は、この皮膚を境界面として、その外側と内側でどのようなネエルギーや情報のやり取りがなされているのかを見つめることによって、「いのち」の真理を見極めようとする観察戦略なのです。
 この境界面としての皮膚には、目や耳、鼻、舌などの各種の刺激に特化した感覚器官が含まれますし、口から肛門をつなぐ身体の内側を通る管の表面にある粘膜もまた宇宙の果ての一部として観察することができるものです。位相学的にみると、身体の中を通る管の中は身体の外部に相当し、私たちはそのようにして外部を内部に取り込む形で宇宙や世界と交流し続けているのです。

マインドフルネスとケアの循環

 仏教瞑想によって人生の苦しみが癒される体験をした分子生物学者のジョンカバット・ジンは、その効果を現代社会に還元する方法についてインスピレーションを得ました。彼の心に浮かんだビジョンは、「現代社会の苦しみが集約されてくる病院で使えるプログラムを開発すること」でした。こうして1979年にマサチューセッツ大学医学部で創始されたのが「マインドフルネスに基づくストレス低減法(MBSR)」という8週間のプログラムです。慢性疼痛で医者から匙を投げられて困り果てている患者達を集めて、最初は窓のない病院の地下室で実施されていたといいます。これが見事に効果を発揮してエビデンスも取れたことによって、MBSRは医療のメインストリームに取り入れられていきました。
 このMBSRをベースにしてうつ病の再発予防のために「マインドフルネスに基づいた認知療法(MBCT)」が開発され、これが投薬と同じかそれ以上の効果があることが実証されたことがきっかけとなり、第三世代の認知行動療法の中核技法として取り入れられるようになりました。そして、最近ではトラウマケアの中核的な技法としても期待されることが脳科学的な研究からもわかってきています。
 マインドフルネスが、一見すると万能薬とも思われるような多くの領域で効果を発揮することができるその理由は、マインドフルネスによって育まれる心の向け方が、子育て(チャイルド・ケア)において求められるような心の向け方の質に極めてよく似ていることにあります。マインドフルネスは私たちが人間になる時に必須な心の向け方であり、それ故に私たちが病気になったりしてピンチに陥った時には、そのような仕方で心を向けてもらうことができると、私たちの中にある生きる力や自然治癒力が働き出してくるのです。
 そしてこのマインドフルネスは、看取り(ターミナル・ケア)やグリーフケアの中でも重要な役割を果たします。看取りでは、何かをすること(doingモード)よりもそこにしっかりと心をとどめていること(beingモード)が大切になります。治療することのできない死に対しては、ただそこにしっかりと息を合わせて共にいることによって、最後に残されたその時を共に全うすることができるだけなのです。そのようにして共有された最期のひと時は、死にゆく人にとっても看取る人にとっても、とても貴重な体験となります。それはまた、残された人にとっては、よきグリーフケアの最初の第一歩となります。そのためにも、一瞬一瞬のこの呼吸が終わるその瞬間を大切に感じて見守っていることのできるような日頃のトレーニングが役に立ちます。 
 マインドフルネスは、死んでいったその人の思い出を、泣き笑いしながら心をこめて思い出すための支えになってくれます。自分を責めすぎることなく、自分も他人も大切にして思い出しながら充分に泣き笑いすることができると、ぽっかりと空いていた心の穴が自然にふさがっていって、大切なその人が自分の人生にとってどのような意味を持っていたのかが分かってきます。心の中に、その人の思い出の場所ができます。すると、その人が自分に対して大切にしてくれたように、今度は誰か他のいのちに対しても大切に優しくしてあげたいという思いやりの心が生まれてきます。

ケアの循環を作り出す

 マインドフルネスは、こうしてチャイルド・ケア、ターミナル・ケア、グリーフ・ケアというケアの循環の流れを作り出してゆくための潤滑油となってくれるような心の向け方のトレーニングになっていたのです。私も戸高さんも篠宮さんも、それぞれの領域で頂点を極めようとする営みの中で学んできたその息づかいを、日常の生活の中で大切に活用してゆくことへと方向転換してきたようですが、そのことにも何か大切な意味があるように思います。

おわりに

 最後に、私たち3人に、このタイミングで、こうした連載の機会を与えてくれた春秋社さんと、読んで下さった読者の皆さんに感謝の気持ちを伝えて、連載に一区切りをつけたいと思います。
 ありがとうございました。

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リレー連載著者略歴一覧

井上ウィマラ(いのうえ・うぃまら)

1959年山梨県生まれ。京都大学文学部宗教哲学専攻中退。日本の曹洞宗とビルマのテーラワーダ仏教で出家して、瞑想と経典研究に励む。カナダ、イギリス、アメリカで瞑想指導をしながら心理療法を学ぶ。バリー仏教研究所客員研究員を経て還俗。マサチューセッツ大学医学部で瞑想に基づいたストレス緩和法の研修を受けて帰国。現在は高野山大学で人生全般に応用できるスピリチュアルケアの基礎理論と援助法の構築に携わっている。

篠宮龍三(しのみや・りゅうぞう)

1976年11月11日、埼玉県出身。法政大学卒業後、東京で会社員をしながらフリーダイビングの競技を続ける。現在はヨーロッパを中心に数々の国際大会を転戦。2008年にバハマ バーティカルブルーにてアジア人初の水深100m越えを達成。史上7人目となる100mダイバーとなる。2009年の世界選手権期間中に107mのアジア記録を達成、ジャック・マイヨール越えを果たした。2010年4月、バハマで開催されたバーティカルブルーにてアジア人未到の115mの大記録を打ち立てた。2010年6月には、アジア初・日本初の世界選手権を大会オーガナイザーとして開催した。

戸髙雅史(とだか・まさふみ)

1961年、大分県生まれ。登山家、野外学校FOS主宰。1996年オペル冒険大賞受賞。ヒマラヤに宇宙を感じ、山との融合を求め、高峰に登り続ける。標高8,611mのK2峰単独登頂(’96,世界第2登)など八千メートル峰四座に無酸素登頂。’98年、チョモランマ峰北西壁にてビバーク中、生きるべき世界はいのちのつながりのなかにあると直感。過去や未来(意識)の介入しない現在[いま]…そこにいのちの本質をみ、瞬間性に満ちた自然という場での体験活動や、即興の音やリズムを交えた講演・ライブなどを通して参加者の方と体験を分かち合っている。

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