第6回(金曜日)/時間は誰にとっても同じか


★生きているから時間を“使える”

 昨日はどこかに消えて、今日という新しい日がめぐってきました。
 金曜日です。

 さて、みなさん、考えてみましょう。「昨日の時間」が見えますか?
 見えませんね。
 では、「明日の時間」は見えていますか?
 これも、見えません。
 それでは……今日の、いえ今、現在の時間は見えていますか?
 やはり、見えません。

 でも、今、この瞬間をかけぬけていく時間を感じることはできますね。
 それは、外の景色が変わっていくからですか?
 それとも、だんだん、おなかがすいてきて、何か食べたくなるからですか?
 いずれにしても、それは、あなた自身が生きていて、外の景色の変化を見ることができたり、体の中では、生きるためのエネルギーがほしくなったりして、食物がほしいと体が訴えているからです。

 こうしてみると、時間は、目には見えなくても、それを感じている人が「生きている」ということと関係がありそうですね。

 そうです。今、あなたは、「時間が過ぎ去っていく」のを感じています。
 そして、すぎ去った時間や、まだ来ていない未来の時間を使って、何か仕事をすることはできません。
 でもね、今、目の前をすぎ去ろうとしている時間を、あなたは“使う”ことができます。
 本を読むことだって、お友達とたのしい会話をすることだって、あるいは、散歩にでかけることだって、あなたは、あなたの時間を、自由に“使う”ことができます。

  実はこのことは、「時間とは何か」という問題を考えるのに、とても大切なヒントになっています。
 もう、おわかりですね。
 そう、今、「この瞬間の時間」を自由気ままに使えるということこそが、「生きている」ということの証[あかし]なのです。
 しかも、“使える時間”とは、過去のものでもなく、未来のものでもなく、今、この瞬間の今の時間だけしかない、ということに気づくことはとても大切です。
 “今しかない今を大切に”ということですね。

 重ねていいますが、生きていく上で、心がけでおかなければならい、いちばん大切なことは、「今しかない、ということと向き合うこと」です。
 人やものごとと出会うその時は、その時一回かぎり(だから大事)という意味で、よく使われる、
 「一期一会[いちごいちえ]」
という、古くから伝わる日本人の考え方にも通じることです。
 また、このことを、
「一大事[いちだいじ]と申すは、今日只今[ただいま]のこころなり」
と表現した、江戸時代のお坊さんがいます。
 これは、正受[しょうじゅ]老人という、江戸時代の偉いお坊さんの言葉です。

 偶然ですが、かの有名なイギリスの物理学者ニュートンは、このお坊さんとほとんど同じころに生まれ、同じ時代を生きていました。もちろんおたがい、そんなことは知らずに。
 でも、同じ時代を生きていても、「同じ時間」を生きていた、といえるかどうか。
 それが、今日のお話ともかかわってきます……。

★一生を通じて心臓が打つ回数は

 さて、昨日(木曜日)のお話のしめくくりに、人間にとって、リズムは、生きていることの証だということをお話ししました。
 たとえば、心臓の鼓動[こどう]や呼吸もからだ固有のリズムです。

 私たちは、生きている限り、そのリズムを奏でつづけています。
 考えてみましょう。
 昨日から今日にかけて、あなたの心臓は、何回、鼓動を続けたと思いますか?

 一日の長さは24時間、1時間は60分ですから、一日は60分×24=1440分です。
 そこで、1分間に70回、脈打っているとすれば、70回×1440=100,800回になります。
 心臓は疲れもせずに、しかも、あなたが「動きなさい」という命令をするわけでもないのに、確実に、10万回も動き続けてくれていたのです。
 改めて、いのちの不思議、を感じますね。

 実は、この地球上には、たくさんの哺乳類[ほにゅうるい]が存在しますが、ある生物学者の話によれば、どの哺乳類も、一生を通じて心臓が脈打つ回数は、およそきまっていて、20億回くらいなのだそうです。
 ここで、私たち人間について考えてみましょう。
 先ほどの計算でいえば、私たちの心臓は、1年365日を通して、100,800回×365=36,792000回、脈打っていることになります。
 そこで、心臓の鼓動の回数が20億回になるまでの年数を計算してみると、

2000,000,000回 ÷ 36,792000回/年 ≒ 54.36年

になります。
 つまり、この計算からすれば、人間の寿命は、およそ50数年ということになりますね。
 「えーっ? そんな……」なんて、いわないでくださいね。
 これはあくまでも、哺乳類全体で考えたときの話です。
 人間の場合は、文明の力によって、また、本来の寿命を医学や薬学などの知識によって、延ばしているのです。

 それと、ここでもうひとつ、誤解のないように言っておきたいことがあります。
 たとえば、運動をしたり、体が発熱したりすると、その分、脈拍数[みゃくはくすう]が多くなりますから、20億回を使い果たすまでの時間が短くなって、平均よりも早く寿命が尽きてしまうのではないかと、心配する人がいるかもしれません。でもそれは、はっきりと20億回ぴったりだときまっているわけではありませんから心配無用です。

 人間以外の哺乳類でも、動物園で飼育されていたりすれば、長生きすることが知られています。それは、自然界にいる野生動物は、年をとって自分の歯が老化すると、獲物をとったり、食べ物をかみ砕いたりすることができなくなりますから、そこで寿命がつきてしまうのに対して、動物園では人間と同じように、病気になれば薬をのんだり、入れ歯を入れることもできますから、長生きができるのです。
 人間も、同じですね。
 それが、文明の力というものです。

★寿命は「体重の4分の1乗」に比例する

 ところで、地球上でいちばん小さな哺乳類といえば、ハツカネズミでしょう。
 大きい方になると、ゾウやクジラです。
 ハツカネズミの心臓は1秒間に10回くらい、ドキドキ脈打っているそうです。
 その結果、2~3年で寿命が尽きてしまいます。
 ゾウやクジラは、人間よりもゆっくり脈打っていますから、計算上では100年近く、生きることができるのだそうです。

 これらのことを、もう少しはっきりさせるために、ハツカネズミからクジラまで、それぞれの体重と、心拍[しんぱく]の周期(つまりドッキン、ドッキンと脈打つ繰り返しの時間)、呼吸の周期、そして、母親の胎内で過ごす時間などとの関係を調べてみると、面白い事実が浮かび上がってきます。

 まず、体重が大きくなればなるほど、心拍や呼吸の周期は、長くなります。
 いいかえれば、脈打ちの速さはおそくなりますから、20億回打ち続ける時間が長くなり、いいかえれば、「寿命が長くなるということ」です。もう少しきちんといえば、ちょっとむずかしい表現になりますが、ほとんどすべての哺乳類の寿命は、「自分の体重のおよそ4分の1乗に比例する」ことがたしかめられています。

 この「4分の1乗」ということについては、数学の苦手な人や、まだ、そこまでお勉強していない人は、あまり気にしないでください。
 ……でも、参考までにざっとお話ししておきましょうか。

 ある数の4分の1乗とは、その数の平方根つまりルート(「√」)の、そのまたルートということですね。
 たとえば、「16の4分の1乗」を例として考えれば、「16の平方根は4」、「4の平方根は2」ですから、「16の4分の1乗は2」だということになります。
 ここで、ある数のルート、つまり平方根というのは、それを二回掛け合わせると(二乗ですね)もとの数になるという数のことです。
 つまり、2の二乗、すなわち2×2は4ですから、4のルート、つまり平方根は2、だということになりますね。

★使うエネルギーといのちの長さについて

 そこで、話を戻しましょう。
「ある数の4分の1乗」とは、それを4回かけあわせると、元の数になるということです。今の例でいえば、「2を4回かけあわせる」と、「2×2×2×2=16」になることからもおわかりですね。「16の4分の1乗」は2だということです。

 さて、
「寿命が体重の4分の1乗に比例する」
ということは、
「体重が16倍になったとき、寿命が2倍になる」
ということを意味しています。

 みなさんのお手もとにある小さな電子卓上計算機(電卓)には、「√」という表示がしてあるキーがありませんか?
 もしあれば、思いついた「ある数」を電卓に入れてから、二度続けてそのキーを打てば、「その数の4分の1乗」が得られます。たとえば、
「100」の「4分の1乗」は「3.16」、
「10,000」の「4分の1乗」は10です。
……ということは、体重が100倍になると、寿命は3倍ちょっと延びて、もし、10,000倍になると、10倍になるということですね。

 ところで、私たち生き物は、食物からエネルギーをもらって、生きています。
 運動をしたり、たくさん働いたりした後は、いつもよりおなかがへるのは、そこで消費[しょうひ]したエネルギーを食物によって補おうとするからです。

 しかし、静かにしているときや、寝ているときでもエネルギーは消耗[しょうもう] します。つまり、いつのまにかなくなっています。それを「標準代謝率[ひょうじゅんたいしゃりつ]などと呼んでいます。
 そこで、先ほどと同じように、哺乳類全体にわたって、体重と標準代謝率を調べてみると、この間にも、興味深い関係があることがわかっています。

 それは、静かにしているときに消費しているエネルギーは、「体重の4分の3乗」に比例しているというのです。

 またまた、やっかいな数学がでてきてしまいましたね。
 でも、心配しないでください。
「4分の3乗」というのは、先ほど説明した「4分の1乗」の数値を、3回かければでてくる数値です。
 たとえば、「100の4分の3乗」とは、「100の4分の1乗が3.16」だったのですから、それを3回かけて、「3.16×3.16×3.16=31.6」です。
 また、「10,000の4分の3乗」とは、「10,000の4分の1乗が10」だったのですから、それを3回かけて、「10×10×10=1,000」ということになります。

 ここで、重要な結論がでてきました。
 それは、
「体重が大きくなっても、それに比例してエネルギーを消費しているのではない」
ということです。
 今、計算したことでいえば、体重が100倍になっても、消費するエネルギーはおよそ32倍、10,000倍になっても、エネルギーは1,000倍しか消費しない、ということなのです。

◆生物が物質でできている証とは

 少し、疲れてきましたか?(考えているときも、エネルギーは消費されています)
 疲れたら、一休みして、もうひといきがんばってみましょう。

 これまで、お話ししてきたことから、生物というものの神秘さと、いのちと時間について、ものすごく興味深い結論がみえてきます。
 体重が小さい哺乳類から、大きい哺乳類まで、心臓が一回、一打ちするのに消費しているエネルギーを、同じ単位体重あたりで比較してみましょう。

 すると……驚くべきことですが、すべての哺乳類が、その大きさにかかわらず、同じだという結果がえられます。
 先ほどの例で考えてみましょう。

 ある体重を基準として、今、考えている哺乳類の体重が10,000倍になると、「ドッキン、ドッキン」の間隔は、体重の4分の1乗に比例するのですから、その基準の哺乳類に比べて10倍になります。
 つまり、10倍長生きするということになりますが、その分、生きるためのエネルギーを10倍使っていることになります。
 その一方で、体重が10,000倍になると、消費するエネルギーは体重の4分の3乗に比例するというのですから、1,000倍になりますが、これを、もとの基準の体重の値にして比べれば、1,000÷10,000=0.1で、10分の1になっています。
 ということは、体が大きくなって体重が増えても、基準の体重あたりで考えると、エネルギーをもとの10分の1しか使ってはいない、ということですね。

 さあ、ここからが問題です。
 ゆっくり考えてくださいね。
 体重が大きくなればなるほど、生きるために消費するエネルギーは、基準体重あたりになおせば少なくなります。しかし、寿命が長くなりますから、その分、一生で考えれば、たくさんのエネルギーを消費することになるのです。

 先ほどの例で、もう一度考えてみましょう。
 体重が10,000倍になると、基準体重あたりにすれば、エネルギー消費量は10分の1になりますが、その一方で、10倍長生きするので10倍のエネルギーを使うということです。
 おわかりですか?

 あらためていえば、こういうことです。
 体重わずか30グラムのハツネズミから、体重が3トン以上もあるゾウやクジラにいたるまで、哺乳類に限っていえば、体重には関係なく、
 「基準体重あたりで考えると、生きるために消費するエネルギーは同じ」
なのです。ああ、なんということ! この公平さ!

 これが、生物もまた、物質でできているということの証[あかし]なのです。

 実は、宇宙の中に存在する元素の量を多いから並べてみると、軽いヘリウムを除けば、宇宙も人間のカラダも、同じです。
 つまり、水素、《ヘリウム》、酸素、炭素、窒素[ちっそ]……の順になっています。
 ここで、ヘリウムを《 》でくくったのは、星にくらべれば、人間は、とても軽いので、ヘリウムのような軽い気体を人間の体重がつくりだす引力では引き止めることができず、人間のカラダの中からは外に逃げてしまっていて、体には含まれていないことを示すための《 》です。

 もちろん、水素は、ヘリウムよりももっと軽いのですが、人間のカラダの中では、酸素と結合した「水」というヘリウムよりもずっと重い物質になっているので、カラダの中に存在しているのです。
 みなさんも、人間のカラダのおよそ70%くらいは水でできているというお話は、どこかで聞いたことがあるでしょう。

◆時間は魔物なのか、神さまのしわざなのか

 こうして考えてみると、人間も宇宙の中の一部分だということがわかりますね。
 ということは、この宇宙の中に、「時間」という魔物のようなものがあるとしても、それは人間の存在と、どこかで関わっているかもしれないということが、なんとなく見えてきませんか?
 だって、人間も宇宙の一部分なのですから……。

 つまり、人間のカラダも宇宙の中にある物質も、同じような物質の素からできています。
 しかし、人間は、「私たちの身のまわりにあるようなモノ」としての物質ではありません。
 自分で考え、行動し、相手と気持ちを分かち合って助け合いながら生きている不思議な存在です。
 私たちには、「心」というものがあります。……“心はどこにあるの”と聞かれれば、つい、胸に手をあててしまいますが、そこにあるのは心臓です。

 では「心」とはいったい、ほんとうはどこにあるのでしょうか?
 そして、心って、いったい何なのでしょうか?

 これは、物理学の問題というよりは、むしろ哲学の問題で、とてつもなく難しい問いかけです。
 でも、ひとことでいってしまえば、「心」とは、未来のことや他者のことを想像したり、推測したりできる能力のことだといってもいいでしょう。

 自分を含めた人たちが、おなかをへらしてひもじい思いをしているときに、おにぎりがひとつあったとします。本当は、自分ひとりで全部、食べてしまいたいのだけれども、こっそり食べてしまったあとのことを想像すると、落ちつかなくなって、結局は、分け合って食べるということになります。これが、「心」の作用です。

 以前、小さい子どもに、「神さまはどこにいるの?」と聞かれたことがあります。
 そのとき、苦し紛れに、こんなふうに答えた記憶があります。
「もし、こっそり、誰にも知られないように、何か悪いことをしたとしましょう。
そんなとき、“見つかったらどうしよう”……って心配になるでしょう。なぜでしょう?
それはね、きっと、神さまは、あなたの心の中に住んでいて、じっと見ているからじゃないのかな」
 ――これが、「心」を理解するてがかりです。

◆宇宙が「始まる前」の時間とは

 さて、先ほど、心は、「未来」を想像できる働きをもったものだ、と言いました。
「未来のこと」といえば、心は、時間と関係ありそうですね。
 その一方で、楽しい思い出にひたることができるのも、心に「記憶」という作用があるからで、記憶が、過去と未来を作り出しているということになりますね。

 そうです。「時間」とは、私たちが生きているからこそ、感じている「何か」なのです。
 生きているからこそ、心臓が動いていて、まわりの世界に起こっているいろいろのできごとを、区切りながら、計っているのです。
 時間は、目には見えません。しかし、感じることはできます。

 あっという間に過ぎ去ってしまう「時間」。
 退屈で、なかなか過ぎ去ってくれない「時間」。
 ある同じ出来事であっても、人それぞれが感じる「時間」は違います。

 そこで、誰でもが、たがいに納得[なっとく]できる「時間の尺度[しゃくど]」がほしくなります。そのためには、人の心とは関係なく、くりかえす現象を使いながら計るしかありません。それが、すでに週の前半でお話してきた「地球の自転」であり、カチカチと時を刻む「時計」です。

 このように考えていくと、時間というものは、なにか得体[えたい]のしれない魔物のようにも思えますが、実は、私たちが、生きているという状況の中で、心が作り出しているものかもしれない、という気がしてきますね。
 さらに、それを推し進めていけば、「生きている」ということは、自分で「自由に使うことができる時間を持っている状態」、だといってもいいでしょう。
 だからこそ、“今”はかけがえのないものであり、“今”を大切にしなければならないということなのでしょうね。「人生=時間」なのです。

 前に、私たちが、お友だちにも通用する共通の時間の経過を知るためには、空間の変化から読み解くしかないということをお話ししました。
 覚えていますか?
「え?」と思ったら、月曜日(第2回)のお話をもう一度、思い出してくださいね。

 つまり、誰にでも通用する時間を考えるには、空間のことといっしょにして考えなければなりません。
 ここで、「誰にでも通用する」といったのは、人それぞれが感じる時間の進み方には、違いがありますから、同じ社会の中でともに生きるには、時間についての共通の尺度が必要になってくるからです。

 物理学の歴史からいえば、こうです。
 最初は、空間とは関係のない、仮りの姿としてそうあるべき姿、つまり「絶対的な時間」を考えることによって、理論を打ち立てたのが、今日のお話の始めのほうで少し名前を出した、ニュートン(1642~1727)でした。
 しかし、宇宙や原子の世界のことがいろいろとわかってくると、どうもニュートンの理論だけではうまくいかないことがわかり、そこから生まれたのが、アインシュタイン(1879~1955)によってつくられた「相対性理論」でした。この理論では、時間を空間と結び付けて考えます。くわしいお話は、明日(土曜日)お話しますので、待ってくださいね。

 ここで、宇宙のお話をするときに、必ずといっていいほどよく出会う質問のひとつをご紹介しておきましょう。それは、
「宇宙が始まる前は、どうなっていたの?」
という質問です。もし、ここで、あなたが、そういう質問を受けたらどう答えますか?
 その答えのひとつは……。

 宇宙が始まる前には、「始まる前」なのですから「くりかえし」というものがありません。
 ということは、「くりかえし」によって計るしかない「時間」は当然なかった、としかいいようがありません。
 あるいは、「宇宙が始まる前はどうなっていたのか」という問いかけを考えるような「心」をもつ生物もいなかったのですから、
 「“宇宙が始まる前”というものは“存在しない”」
としかいいようがないのです。いいかえれば、
「“宇宙のはじまり”と同時に、“くりかえす”という現象が起こり、その瞬間に“時間”が生まれた」
……ということですね。

◆「物質」か「精神」か

 先ほど、ハツカネズミの心臓は早く、ゾウの心臓はゆっくり脈打っていると、お話ししました。
 ということは、心臓の打ち方の速さで、時間の経過を感じているとすれば、ハツカネズミにとって、ゾウの動きはスローモションのように見えていて、逆に、ゾウの目には、ハツカネズミの動きは、とても早くて、見えていないのかもしれません。

 つまり、今、私たちが使っているような機械式の時計で計れば、ゾウの方がネズミよりも長生きしているように思えますが、ハツカネズミやゾウにとってみれば、どちらも、同じ長さの一生だと感じているのかもしれません。

 私たちが、生まれて3年ほどで一生を終えてしまう動物を、早く死んでしまってかわいそうだ、と思うのは、ひょっとしたら人間の一方的な尺度からの見方で、すべての動物にとってみれば、それぞれが感じている一生の長さは、同じなのかもしれません。

 だって、すべての生き物は、宇宙を作っている物質と同じ物質からできていて、その違いは物質の組み合わせの違いだけなのですから……。
 精神を帯びた物質か、物質を帯びた精神か……。
 なにか、とても不思議な気がしてきますね。

 今夜も、夜が更けてきました。
 お休み前のひととき、目をつぶっていると、すぎさった過去と、これからやってくるであろう未来が重なって、なにか、永遠の時間の中に入っていくかのような気がしてきます。
 そして、ふと、
 「時間は、自分の心がつくりだしている幻想、夢なのかもしれない……」
 などと思ってしまうのも、夜の静けさのせいなのでしょうか。

 どこからか、ショパンの「ベルシューズ(子守歌)」が聴こえてきそうな、今日から明日への曲がり角です。

 輝かしい明日が訪れますように……。

金曜日(6回目)、以上

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佐治 晴夫(さじ・はるお)

1935年東京生まれ。理学博士。鈴鹿短期大学長。大阪音楽大学院客員教授を兼任。元NASA客員研究員。東大物性研究所、玉川大学を経て現職。量子論に基づく宇宙創生理論「ゆらぎ」研究の第一人者。NASAのボイジャー計画、“E.T.(地球外生命体)”探査にも関与。また、宇宙研究の成果を平和教育のひとつとして位置づけるリベラル・アーツ教育の実践を行ない、その一環として、ピアノ、パイプオルガンを自ら弾いて、全国の学校で特別授業を行なっている。主な著書に『からだは星からできている』『女性を宇宙は最初につくった』『14歳のための物理学』(ともに春秋社刊)など。

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