第三回 全盲の井上さんだけが知っている色


 ひとくちに「中途障害」と言っても、体のようすは人それぞれです。障害を得た年齢、得るまでについていた職業、持っていた関心などによって、記憶として知っている「健常者としての体」と、いま物理的に持っている「障害者の体」の力関係が変わってくるからです。当然、幼くして障害を得た人の場合は「障害者の体」が支配的です。一方、成人してから障害を得た人の場合には「健常者の体」として積み重ねた経験や知識の影響が大きくなります。
 全盲の中途障害者に関して、そんな個人差がいちばんはっきり出るのは「色」について話すときです。色をどの程度、どのように感じているかは本当に人それぞれ違っていますし、そもそも色に対する関心の度合いも、細かく知りたがる人もいれば、自分には関係ないや、という感じの人もいる。色というテーマは、いわば「全盲中途障害の試金石」みたいなものなのです。
 今回は、そんな色の経験にまつわる、面白い事例を紹介したいと思います。主役は、井上浩一さんという、六歳のときに見えなくなった全盲のインフラエンジニア。私がインタビューをした時点で四十代でしたので、人生の大部分を見えない体で生きてきたベテランです。そんな井上さんのちょっと変わった色経験を通じて、彼の身体の多重化のありようを観察してみたいと思います。★1

数字や文字に対応する色

 井上さんは、点字を使いこなすことができます★2。インタビューのあいだも、ピンディスプレイに表示される突起を指で追いながら質問に答えてくれました。「ピンディスプレイ」とは、点字を表示することができる触覚用のディスプレイのこと。ベースは痛くない剣山のような仕組みで、「あ」なら「あ」を表す点の配置を、下からピンをせりあがらせることによって表します。器機には書き込み機能もついているので、井上さんにとっては点字版電子手帳のようなもの。事前にメールでインタビューの質問事項をお送りしていたので、答えのメモを準備してくれていたのでした。
 ところが井上さんは、この点字を読むときの感覚が変わっています。何と、「頭の中にいろいろな色があられる」と言うのです。「数字だと、『0』が濃いピンク、『1』が暗めの白、『2』が『0』より赤みが強い赤、『3』が黄色、『4』が緑、『5』が薄青、といった感じで、不思議なんですよね(笑)。点字を触っても、あるいは人の名前を聞いてもそれが点字に変換されて、頭の中で色付きでイメージされるんです」。つまり数字や文字のそれぞれに対応する色があり、点字を読むとその色が頭の中に浮かぶと言うのです。しかも、複数の文字や数字に同じ色が対応していることはなく、すべてが異なる「一対一対応」になっているとのこと。「たとえば数字にも赤っぽいものがいくつかありますが、それぞれ違う感じがします」。
 数字や文字に固有の色が対応しているといっても、触った点字の点を色つきの点として感じるわけではなく、また対応する墨字の数字や文字(晴眼者が使う「1」や「あ」のフォント)がその色でイメージされるというのでもないそうです。純粋に、対応する色が頭の中でパッと出てくる。点字を読むときにはかなりのスピードで指を移動させていきますから、ものすごい速さで色が明滅することになります。「そういえば、(点字を読んでいると、頭の中が)チカチカしますね」。もちろん井上さんにとってこの「チカチカ」は自然なのでしょうが、何だかサイケデリックに照明が変化するダンスフロアのようなものを連想してしまいます。
 井上さん自身、「不思議だ」と感じているのですから、この「チカチカ」は、文字を追ったり、文の内容を理解するうえで、何かの役に立っているわけではないようです。そもそも、現れるのは単語の意味とは全く関係のない色です。「単語には色はなく、たとえば『うし(牛)』に色はありません。黒っぽい『う』と、深くない青の『し』、『5』とは何かが違う感じがする『し』のそれぞれの色があるだけです。実物の牛が白と黒だということとも関係がありません」。つまり「チカチカ」は、綺麗かもしれないけれど、読むという行為にとっては役に立たない、いわばオマケのようなものなのです。もしかすると、オマケを通り越して「ノイズ」になってしまう可能性もあるでしょう。そんなカラフルなオマケあるいはノイズが、目で色を見なくなって40年近く経ってもなお、井上さんのなかで鮮明に保持されているということ。それはやはり奇跡のようなことに思えてなりません。

共感覚との違い

 ところで、このような現象を聞くと、「共感覚」のことを思い浮かべる方がいるかもしれません。共感覚とは、たとえば「音に色を感じる」といったような、ある刺激に付随して別の種類の感覚刺激を感じること。となると確かに井上さんのケースもあてはまるように思えます。無意識的に、いつも同じ組み合わせで現れる法則性があるところも似ています。ところが、井上さんの「チカチカ」は、通常の共感覚とは少し違ったところがあるようです。
 確かに「数字や文字」と「色」という組み合わせは、さまざまな共感覚の中でも報告例が多く、代表的な共感覚のパターンだとされています。けれども、その重なり方を見ていくと、一般的な共感覚のケース(つまり晴眼者のケース)と井上さんのケースでは明確な違いがあるのです。一般的な共感覚では、たとえば「0」と「ピンク」が結びつく場合、「0」という数字がピンク色に見えると言われています。白黒で印刷した書類が、カラーで印刷したように見えるわけです。ところが井上さんのケースは、先述のとおり「0」を意味する点字なり数字なりがピンク色になるわけではないのです。あくまで頭の中にその色が思い浮かぶだけ。「頭の中の照明が切り替わる」感じです。結びついているのは「触覚的な刺激」と「色」ではなくて、「文字や数字の概念」と「色」なのです。
 でも、こんな反論がありえるかもしれません。「井上さんは見えなくなって長いのだから、物を色つきでイメージする習慣がそもそもないのではないか」。これに関しては、私も気になって井上さんに確認してみました。すると、どうやら井上さんはふだんから、仮にそこが初めて行く場所や初めて触れる物であったとしても、カラーでイメージする習慣がある、ということが分かりました。「自分の中で勝手にビジュアルのイメージを作っているところがあります。といってもこれは見えている人のビジュアルイメージほどはっきりしたものではないんですが。たとえば、道路があったら、道路はアスファルトの色をしているだろうな、と想像します」。もっとも、井上さんとて常にカラーで思い浮かべ続けているというわけではないようです。「触ったときや、一瞬の間みたいなときにイメージしますね。集中していることから離れて、広い範囲に意識を向けたくなることがあります。そういう瞬間に、ぼやっと、ああ、ここはこうだったな、とイメージします」。
 もちろん、それが現実に即して正確な色であるかどうかはまた別問題です。あくまで、「木製だから茶色だろう」という、見えていたときの記憶から推測した色を「割り当てている」にすぎません。インタビューのときにも、IKEAのプラスチック製のコップに冷茶を入れて出したのですが、そのコップがブルーだと伝えると、「あ、ブルーなんですね、今割り当てました(笑)」との返事が返ってきました。以前、別の全盲の方が、東京の中央線のデザインがずいぶん前に変わったことを知らず、いまだにあの全面オレンジ色でイメージしていたよ、と笑って話してくれたこともありました(現在の中央線は、アルミの車体にオレンジ色のラインが2本入ったデザインです)。
 いずれにしても、井上さんのように見えなくなってから40年近くたっても視覚的にイメージする習慣を保持している方は、そうとうのレアケースでしょう。これまでのインタビューで、見えなくなって10年程度で、視覚的にイメージする習慣がなくなったという人に何名もお会いしたことがありますから。井上さんはこう分析します。「そういう人もいるということですね(笑)。他で失っているものもいっぱいあるんですけど、私の場合は色は残った。何を失うかが人によって違うんじゃないですかね」。

チカチカ現象の原因

 ではいったいなぜ、井上さんの頭の中では数字や文字が固有の色を持つようになったのでしょうか。何か生まれ持った特殊な能力のように感じてしまいますが、どうやらそういうことではないようです。井上さんのお話をうかがっていくと、あることが原因として関係しているらしい、ということが分かってきました。そこには、井上さんが見えなくなったタイミングが大きく影響しています。
 井上さんが見えなくなったのは6歳です。6歳といえば小学校に入る前、ちょうど多くの子どもが文字を覚え始める時期。この「覚え始める」というところが重要で、要するに完全に習得しきるのはまだ難しい段階です。加えて見えなくなる前から井上さんは弱視で、0.03程度の視力で世界を見ていました。
 当時、井上さんはあるおもちゃを持っていました。「木製かるた」のようなもので、それぞれの札に「あ」「い」などと文字が書いてあります。「あ」「い」の部分は掘られてもいたので、触ると分かるようになっていました。このかるたに「チカチカ現象」の原因があるのではないか、と井上さんは言います。なぜなら、このかるたには色がついていたからです。「たとえば『み』だとみかんのような色になっている。それを見ていたことから、文字に色がついているという不思議なイメージができたんじゃないかと思っています」。
 つまり井上さんは見えなくなる前、木製のかるたで遊びながら、数字や文字を覚え始めていた。このかるたは、子どもの学習を助けるために、書かれた数字や文字に関連する色がつけられていた。通常の文字学習のプロセスでは、この「色」を踏み台としつつ、最終的には「かたち(字形)」と「音」を結びつけることが求められる。それが「読める」ということである。ところが井上さんの場合は、(1)弱視であったこと、(2)学習プロセスの途中で視力を失ったこと、(3)その後すぐに読み書きの手段がもっぱら点字になったこと、などの理由により、「かたち(字形)」ではなく「色」が、「音」と結びつくことになった。以上があの「チカチカ現象」の原因であると推測されます。
 そもそも、文字を覚えるとはどういうことでしょうか。すべからく、学習には抽象化が伴います。かるたで遊んでいて、「この札」と〈あ〉という音が結びつくだけでは、「あ」の文字を理解したことにはなりません。札に書かれた丸ゴシック体の赤い「あ」と、例えば本屋の看板に書かれた明朝体の青い「あ」が、物理的には全く別のものであるにもかかわらず、同じものとして扱えるようになること。これが「あ」の文字を理解するということです。
 もしかしたら子どもにとっては、「あ」の札の独特の木目や触り心地、匂い、小さな傷、あるいは沁みこそが、最初は「あ」なのかもしれない。でもそれでは文字を理解したことにならないのです。札がもつ物質的な特徴や、フォントの種類やサイズ、用いられている色などのデザイン上の特徴、これらをごっそり捨てて、初めてその子どもは文字を理解したと言えるのです★3。そのように考えると、学習とは結局、あるものを獲得するために、それ以外のものを大量に捨てる作業だと言えます。これが「抽象化」です。
 井上さんに起こったのは、いわばこの抽象化の中断だったのでしょう。井上さんに抽象化がなかったわけではありません。札の質感などは覚えていませんし、点字を触りながら、札という物体をそのまま思い浮かべているわけではありません。ところが「色」に関してだけ、抽象化が完了する手前で、井上さんは点字による読み書きに移行することになった。「色」の情報を捨てて文字を完全に読めるようになる前に、目で見る文字との関係が絶たれた。その結果、「数字や文字が固有の色を持つ」という特殊な状態が生まれたと考えられます。
 そう考えると、チカチカ現象は、まさに6歳という就学直前の時期に見えなくなったからこそ生じたと言えます。確かにこの時期は、人が最もカラフルな環境で生きる時期の一つなのかもしれません。学習用教材には、ほとんど必ずと言っていいくらいはっきりとした色がつけられていますし、弁当箱や服などの日用品も色とりどり、テレビで放映される幼児番組も実にカラフルです。こうしたものも、「チカチカ現象」に影響しているかもしれない、と井上さんは言います。「子どものころに見たテレビの『ひらけ!ポンキッキ』で、『いっぽんでもニンジン』という歌がありましたが、あの歌でも絵に色がついていて、あそこから来ているのかな、と思ったりもします」。しかも、子どもは同じおもちゃで繰り返し遊んだり、同じ番組を繰り返し見たりします。反復的な刷り込みの過程は、まさにチカチカする色を洪水のように浴びる快楽の経験です。

秘密の花園

 このように、数字や文字が固有の色を持つという井上さんの経験は、偶発的な条件が重なって生じためずらしいものです。少なくとも私の知る限り、そのような全盲の方にお会いしたことはありません。
 ですが、井上さんのチカチカ現象に関しては、それ以上に奇跡的だと感じることがあります。それは、この現象の根底にある、井上さんと色の関係です。 
 インタビューの過程で、井上さんは何度か言い淀むことがありました。「し」と「5」はどちらも青系だけれど、「何かが違う感じがする」とか、「『6』の赤は濃くて、あれを朱色と言うのかなと思っています」とか。つまり井上さんは、頭に中にたくさんの色があるにもかかわらず、そのすべてを明確に人に伝えることができるわけではないのです。もちろんいくつかの色については伝えることができます。「赤系」「青系」などおおまかな傾向は伝わります。けれども微妙な色の違いとなると、その違いを人に説明して共有してもらうことができない。その色は、つまり「井上さんの外に出すことができない色」なのです。
 色は、「感覚」と「名前」の両方の側面を持っています。ここにもまた「6歳」という微妙な年齢が関わってくるのですが、通常、この年頃の子どもが名前を知っている色の数といえば、12色程度ではないでしょうか。そう、標準的な色鉛筆の本数です。「黄色」は知っていても「山吹色」は知らないでしょうし、「緑色」は分かるけど「ビリジアン」は聞いたことない、という子どもがほとんどのはずです。そして、こうしたざっくりした色名のカテゴリーから出発して、しだいにより細かい色味を知っていく、というのが通常の色名を覚える過程です。もちろんデザイナー等の専門職に就けば、さらに細かい色の名前に精通することになるでしょう。
 重要なのは、子どもだって、同じ色を見てはいる、ということです。外を歩けば葉っぱの一枚一枚が違う色をしていますし、空だって一日とて同じ表情を見せません。知らないのは「名前」であって、「感覚」の刺激レベルでは、大人も子どもも同じものが網膜に映っているはずです。違いは、「名前」と「感覚」がセットになっているかどうか。大人はセットの数が多いけれど、子どもは「感覚」の数に比して「名前」の数が圧倒的に少ないのです。
 これこそまさに、井上さんに起こっていることでしょう。井上さんは6歳までにさまざまな色を見たことがあり、それらを記憶として保持しています。「感覚」としては、確かにいろいろな色を知っているのです。けれども、そのほとんどが「名前」を持ちません。いや、もしかしたら、「山吹色」や「ビリジアン」を、単語としてなら知っているかもしれません。けれども、それが感覚として持っている色のどれに相当するのか、確かめるすべがもはやないのです。名前というラベルがないから、色のデータベースから取り出して、人に伝えることができません。それゆえ、外部への回路を持たない、井上さんの中だけに封印された色なのです。
 もっとも、いくつかの色は、見えなくなってからでも名前をつけることができます。たとえば、朱色。井上さんの中では「6」と結びついた色です。なぜ見たことがないのに推測がつくかというと、「朱色は、印鑑を見たことがある」から。「朱色として見た色」はないけれど、「印鑑の記憶」を介して、「朱色」という名前と「6」の色を推測的に関連づけていることになります。
 いやいや、色の名前そのものを知らなくたって、説明はできるじゃないか、と思われるかもしれません。確かに私たちはよく、「白っぽい紫」や「黄色よりの黄緑」といった言い方をします。名前をずばり言い当ててはいないけど、それでたいていの色は伝わっています。
 ところが、こうした表現こそ、まさに井上さんにとっては分からないものなのです。「赤っぽい紫」や「黄色よりの黄緑」といった表現は、混色、つまり複数の色を混ぜることによってその色を表すというやり方です。「紫に赤を少し混ぜた色」「黄色を多めにして緑と混ぜた色」を想像せよ、というわけです。確かに目の見える人であれば、これらの色は想像するまでもなく浮かんできます。けれども井上さんはそうではありません。「色を頭の中で混ぜることはできないので、どうするとその色になるのかは分からないんです」。
 このことが意味するのは、目の見える人が色を頭の中で混ぜられるのは、そのような経験があるからだ、ということです。私たちは決して知識として、混色の結果を覚えているわけではありません。色相環のようなものを参照してそのつど考えているわけではありませんし、ましてや掛け算の九九のように「赤と青は紫」などと暗記しているわけではありません。あくまで経験として、子どものころに絵の具などで色を混ぜ、その混ざっていく様子を目で見たことがあるから、混色の結果が想像できるようになっているのです。実際、幼い頃に失明した視覚障害者の多くが、この混色が分かりません。逆に、大人になって失明した人であれば、混色によって説明しても、どんな色か想像がつきます。
 つまり、井上さんの頭の中にはたくさんの色がある。けれども、それらは混ぜるという操作を受け付けない「絶対的な色」たちなのです。見えなくなって40年近く、これらの色が失われずに一人の人間の中に封印されたままになっている、という事実は本当に驚くべきことです。もしかしたら、名前がない代わりに、特定の数字や文字と紐づいていたからこそ、色の記憶が失われなかったのかもしれません。そうなると、井上さんにとっては、私たちが「白」と呼んでいる色の名前が「1」である、と考えるべきなのかもしれません。他者からはアクセスできない、井上さんの中にだけに封印された色とりどりのカラフルな世界。それはまるで、さまざまな条件が偶然重なってできた、秘密の花園のようです。

★1 井上浩一さんへのインタビューは、全文を以下のサイトにて公開しています。
http://asaito.com/research/2016/06/post_31.php
★2 近年では、音声読み上げ機能によってパソコンを使いこなす視覚障害者が増えているので、点字を読める人は必ずしも多くありません。このあたりの事情については、拙著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)の第2章を参照してください。
★3 二つ前の段落で、文字を理解することは「かたち(字形)」と「音」を結びつけることだと書きました。この抽象化のプロセスを踏まえるなら、この「かたち」とは、文字どおりの文字の図形ではなく、線や点の配置の関係という意味での「ゲシュタルト」と言うべきものです。そうでないと、明朝体とゴシック体が異なる文字として認識されてしまいます。

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伊藤亜紗(いとう・あさ)

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともとは生物学者を目指していたが、大学三年次に文転。2010年に東京大学大学院博士課程を単位取得のうえ退学。同年、博士号を取得(文学)。著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版)がある。同時並行して、作品の制作にもたずさわる。

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