第二回 グランブルーを超えて―― 篠宮龍三
「50m以上潜れば自分の血の中で死ぬだろう」
半世紀前の科学は素潜り潜水の限界をそう断定していた。だが一人のイタリア人がこの説をくつがえす。エンゾ・マイオルカだ。そして彼の永遠のライバルのフランス人が人類初となる素潜りで水深100mを越える。それが私の憧れたフリーダイバー、ジャック・マイヨールである。
エベレストに初めて登頂したヒラリー卿、月面に初めて到達したアームストロング船長。そして素潜りで初めて水深100mを越えたジャック・マイヨールもまた人類史に名を残す偉大なエクスプローラーのひとりだ。
時の科学が生還を否定する限界地点を超えて還ってくる。己の感覚を信じてその先を目指す。そこにはどんな世界があるのだろうか。
”そこにはブルーしかない。上も下も左も右も、すべてが同じブルーに包まれる深海である。それを私たちはグランブルーと呼ぶ。太古の昔、人間の祖先が住んでいたであろう世界だ。”
ジャックの言葉である。この言葉に触れたのはたしか15年ほど前。19歳のころだった。「いつかその場所にたどり着きたい」自分の心の中に何かが灯るのを感じた。ジャックの偉業はもちろん、その表現にも心酔した。それからジャックに関する本、資料、映像をあさった。日本ではフリーダイビングに関する情報がほとんどなく、かえってそれがフリーダイビングの神秘性をかき立てた。
調べていくと幸運なことに通っていた大学のすぐそばに、かつてジャックのトレーニングパートナーを務めていた松元恵さんが経営するダイビングショップがあった。学校帰りによくお店に通って、フリーダイビングやジャックの話を聞かせていただいた。トレーニングのクラスにも参加した。フリーダイビングの世界がぐっと身近になった。それからはトレーニングにただひたすら打ち込む毎日だった。
初めて作った日本記録は61m。2002年にハワイ島で行われた世界大会で樹立した。その前年に亡くなったジャックに哀悼の意を表するため彼の唯一のコンスタント種目(フィンだけを使用する種目)の世界記録61m(1981年当時)に並ぶものとした。65mでも70mでもなく、61mにリスペクトを込めて。自分なりのジャックに対する鎮魂歌だ。それからジャックの記録を追いかける旅が始まった。
翌年の2003年には76mへ。これはジャックが1970年に伊豆で作った当時の世界記録をフォローしたものだ。同じ海で、同じ深さに、同じ季節に自分もそこに潜り、彼と同じものを感じたかった。
76mという記録は当時の世界歴代9位となるものだった。サラリーマンアスリートとして日本記録を少しずつ延ばしていくのも悪くない。だが世界の頂点が少し見えた気がする。安定した人生か挑戦する人生か……。
そして5年ほど勤めた会社を辞めた。日本人初のプロ選手に転向したのだ。一度しかない人生、世界一になることに賭けてみようと思った。
しかし、ここまで順調に伸びてきた記録も止まってしまう。大きなスランプに陥った。プロになったのだからと気負い過ぎてしまいブラックアウトの連続。ブラックアウトは酸欠による失神。もちろん試合では失格だ。身体のなかで最も酸素を使う臓器は脳。その脳が潜水中に考えごとをし過ぎて酸欠になるためにブラックアウトを起こすのだ。「これだけ練習をやったのだから結果が出るはず」「ライバルには負けられない」無駄な思考はエスカレートしていく。「また失敗するんじゃないか」「いや、今度こそうまくいくはず」……失敗が恐怖になり大きなトラウマとなっていく。2004年はまったくうまくいかずシーズンを終えた。
2005年もシーズンのはじめから失敗の連続だった。いつまでこの負の連鎖は続くのだろう……。そんな中、大切な仲間が海で亡くなってしまった。もう競技をやめようかと思った。どうしても「次は自分かもしれない」と考えてしまう。死の恐怖がつきまとう。苦悶する日々が続いた。そんな時、ジャックが禅に傾倒していたことを思い出した。禅に関する本を読みあさり、ある言葉に出会う。
「因果一如」
心に大きく響いた。「これだけがんばったんだから報われる」と原因と結果を太く結びつけていた「因果応報」タイプの自分の心が変わったのだ。それから、練習は練習でベストを尽くし、試合は試合でベストを尽くそう、「いまここ」この瞬間に自分がベストを尽くせばそれでいいと考えられるようになった。いい意味で開き直れるようになった。そうするとまた試合でも結果が出始めた。
長かったスランプを脱し、2006年には86mへ。フランスのマルセイユで行われた大会で到達した。これも自分なりのこだわりがある。ジャックはマルセイユで少年時代を過ごした経験がある。美しいマルセイユの海はジャックに何をもたらしたのか知りたかったのだ。86mももちろんジャックのかつての世界記録だ。
2007年には90mを記録し、いよいよ大台が見えてきた。
そして2008年にはバハマで100mに達した。アジア人、日本人初となる100m。ふるえるような喜びを感じた。スランプを乗り越えようやく手にしたこの大台。世界で歴代7番目に100mに到達し、この年の世界ランクは2位に入賞した。
ジャックは1976年の11月に人類初の100mを達成した。ちなみに私が生まれたのは奇しくも1976年11月である。自分の年齢は「人類初の100mダイブ」と同じ年月を刻んでいく。これは自分の運命なのだと勝手に思い込んでいる。単純な思考回路だが……。
2009年4月にはバハマで105mへ、ついにジャックの最高記録に並んだ。そして同年12月には107mに到達。ようやくジャックの記録を超えることが出来た。無上の喜びを感じた。いよいよこれからが自分のステージだと思えた。それまではただ必死に憧れの存在を追いかけてきた。そして時にスランプに陥り、また彼の記録を追うことにプレッシャーを感じてもいた。彼の記録をフォローするだけの資格が自分にあるのかと自問しながら……。しかしもうこれからは自分の好きなようにやればいいのだ。気持ちがうんと軽くなった。
フリーダイビングの神様とも称されるジャック・マイヨールの作ってきた世界記録を日本記録、アジア記録でフォローしていくこと。そして越えていくことを自らのミッションとして潜ってきた。
そして実際に彼の記録を越えて、ここからが本当の勝負であり、自分自身のオリジナルな表現のステージなのだと思うようになった。
現在の目標は世界記録の更新だ。
2010年バハマ大会、コンスタント種目で115mに到達した。安全管理の観点から、フリーダイビング競技は潜る深度を事前に申告しなければならない。練習や体調などから判断し、前日の108mの手応えを受けて115mに思い切ってトライした。今までに感じたことのないブルーがそこにあった。
潜るにつれ光は次第に失われていく。海の青も水面付近ではライトブルーだが、ダークブルー、ディープブルーとその色を濃くしていく。青のグラデーションの中を静かに潜降していく。そしてジャックが表現したグランブルーの世界がやってくる。
上も下も、右も左も同じブルーが広がっている……。
さらに潜っていくと、
グランブルーをこえた深い青い闇の世界があった。
そこにはまだ名前のないブルーが広がっていた。
その青をなんと呼んだらいいのだろうか。
深すぎて名前がないブルー。
だれかに名前を付けてもらうのを待っているブルーだ。
そしてそこには生も死も越えた世界があった。
潜るということは空気のある世界から遠ざかること。それは確実に死の領域に近づくことだ。しかし不思議と心は落ち着き、自らの生を強く感じている。生の実感をありありと鮮明に感じるのだ。いま生きている。いや、生かされている。そう感じ、自らの生に対し感謝したくなるのだ。
光もなく、音もなく、重力もない。
海というより宇宙に近い場所といえるだろう。
無限の暗闇と永遠の静寂に身をゆだね、宇宙を想う。
そこでは、誰も知らない「世界の秘密」に触れるようだ。
そのブルーをほんのひととき独り占めしたくなる。
フリーイマージョンという種目がある。フィンは履かず、ロープを手繰り潜行、浮上する。2010年の同じバハマの大会でこの種目でその時の世界記録に挑戦した。申告したのは113m。その時、潜る前に得た感覚は忘れられない。世界記録に挑む直前に感じた研ぎすまされた感覚。
すべてのスタッフ、選手、ジャッジ、観客がまさに水を打ったように静まり返り、自分の一挙手一投足に注目する。あたりには自分の呼吸の音しかない。
だれもが世界最深に挑む選手を固唾を飲んで見守っている。
「明鏡止水」という言葉がイメージされる。
世界最高のステージで世界最深の記録に挑む。
すべてが自分のために存在し、世界は自分のためにあるようにすら感じた。
こんな面白い遊びはないと思った。
しかし結果は105m。
世界新記録達成にはならなかったが、スタート前のあんな感覚を得られるのならまた何度でも挑戦しようと思った。世界のトップアスリートたちはあのような場所で生きていたのかと。初めて感じた高揚感だった。あの感覚を得られるのならまた厳しいトレーニングも厭わず取り組める。
ターゲットに向かっていく100パーセントのチャレンジングスピリット。
あの世界を知ってしまったらもう元には戻れない。
日本記録、アジア記録の更新を目標にするのはもう終わりにしよう。
世界を狙おう。そして今度は成功して還ってこようと思った。
あの世界をもう一度味わいたい。
そしてだれも見たことのないブルーに触れてみたい。名前のないブルーに。

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