第二回 いのちと医療

「生きている」ということ

 自分は大学病院で循環器内科という心臓の医師として働いている。臨床医なので臨床の現場で日々感じている「いのち」のことを率直に記してみたいと思う。
 自分が医者として働けているのは、いま自分が生きているからだ。そして、この文章をあなたが読めているのも、いまあなたが生きているからだ。
 まず、話の前提となっている「生きている」ということから始めたい。人が生まれ、生きているということは、いのちを与えられたということだ。死んでしまった、ということは、与えられたいのちはどこかに返され、渡された、ということでもある。
 わたしたちは、ブッダも触れたように生老病死のプロセスから逃れることはできない。生きていると楽しいことも嬉しいこともあるが、同時に悩んだり苦しむこともある。希望を感じる日もあるが、絶望を感じる日もある。ただ、こうした感情を味わうことができるのも、すべて生きているということが前提になっている。生きているからこそ、いろいろな困難や苦難にも遭遇するし、病になることも老いることもある。
 つまり、生きるプロセスには、そうしたことが前提として分かちがたくついてくる、ということだ。生まれた時にいのちが与えられるが、同時にこの体や心も与えられる。体も心もいのちも、生まれながらに備わっているため、その不思議さを改めて考えることも少ない。体が動くのが通常だからこそ、体が思うように動かなくなった時に、体がどうやって動いていたのかと考え直すし、心が円滑に働くことが普通だからこそ、心が思うように働かなくなった時に、心がどうやって働いていたのかと考え直す。いのちがあることが前提だからこそ、いのちの危機に瀕した時に、いのちが何気なく働いていたことに思いを馳せる。体や心やいのちは、わたしたち自身そのものだから、何か不具合が起きない限り意識されない仕組みになっている。ただ、意識しないと気付かないからこそ、生きている過程の中で本来の状態から大きくずれてしまうこともありうるのだ。

 いのちは、そうして生まれた時に与えられるものだが、どこからやってきて、どこへ向かうかなどと考え直すことは少ない。そうした問いは哲学者に任せておけばいいとして自分自身で考えることを放棄することも多いが、子どもの時にはそうした素朴な疑問を誰もが感じたことはあるはずだ。答えられないので、そのままにしていたりするし、日常の忙しさの中で、忘れていたりする。
 自分が医療職についていて思うことだが、そうしたいのちの由来やいのちの行く末を考えながら生きている人と、そのことを全く考えていない人とでは、生き方や生きる態度に大きな違いがあることを感じる。「いのち」を問いとして抱き続けている人は、「いのち」を生きる核に据えているのだろう。それは、生きることへの切実さ、のようなものとして顕在化してくる。
 人は、元々は過酷な自然の中で生きていた。自然の中では、一日一日を生き残っていくこと自体が切実な問題だった。食事をし、眠り、起きる。そうした単純な生きる営み自体が、日々の喜びだっただろう。生きることは、生き残ることであると、強く感じていたはずだ。暮らしの中では、生き続けることが最も大事なことだったはずだから、生きることを支える「いのち」こそが生活の中心にあったはずだ。寿命そのものも短かったが、人生は長さではなくて、質の問題だ。現代では、生きる営みが質の問題としてではなく量の問題へとすり替えられて語られることが多い。いのちが計量化されるものになってしまう。
 自分は大学病院で先天性心疾患という生まれつき心臓に病を抱えている人を数多く診療している。その時に思うことは、生きる営みは、一日一日で常に完結しているということだ。人生ははじまりと終わりが直線として測れるものではなく、はじまりと終わりとが円環状に連なっていて、一日一日の太陽のリズムで円環は閉じられて完結している、ということだ。一日一日の最後に、眠りの時間として意識が純粋に内側の世界へと向かう必要があるのは、そうした一日一日での区切りを意味しているように感じられる。
 生後一日、一か月、一年で寿命を迎える子どもたちも数多くいるが、そうした人生もちゃんとそれぞれの人生の輪は円環的につながって完結しているものだ。人生は量ではなく質の問題だ。いのちは、誰もが生まれた瞬間に与えられるが、いのちの持続時間は個人によって大きく差がある。ただ、それは比べられるものではない。比較できない、絶対的なものだ。その人にとって固有のものだ。
 人が亡くなる時は心から悲しい。何度訪れても、決して慣れることはない。いのちが失われることは、この世界に穴が空くような喪失感を伴うもので、ただただ悲しいものだ。それは、もう永遠に会うことができず、触れることもできない、という生の一回性を強く感じるからだ。喪失が起きた「今」というこのかけがえのない瞬間を見させられるからだ。
 普段のわたしたちの頭は未来か過去かに縛られているが、死の体験は「いま、ここ」へ誘う。そこで人生の一回性を感じるからこそ、そのバランスをとるように、心の中では永遠性がじわじわと感じられるようになる。自分の記憶の中に、この死者はいるのだ、ということとして。いのちは、そうした一回性の感覚と、永遠性の感覚とがあわさったものだ。永遠性は、死者のいのちを自分がしっかりと受け取ったときに感じられるのかもしれない。
 いのちは生まれたとき自分に与えられ、死ぬ時には誰か他者へと与えられる。それは光のようなもので、同じ場所に重なって存在できるものだ。光が一つの場所にあたればあたるほど、その場は光が重なり強く輝く。光と同じように、いのちは受け取れば受け取るほど、厚く強度を持って光り輝くものなのだろう。質の体験として感じられる。それは輪廻(Reincarnation)と表現されたものを含むのかもしれない。死から生へと、別の肉体へといのちが渡され、受胎する。いのちは、そうして受け継がれてきた。

つながりをつくるいのち

 生命は約四十億年前にこの地球上に生まれたとされる。生命とは、なんだろうか。生命とは定義次第で、いろいろと幅があるものだ。生物学で学ぶような一般的な生命の定義として、外界と内界を隔てる膜を持ったもの、自己複製するもの、代謝活動をするものなど、さまざまなものがある。定義とは、言葉である囲いを作り、その囲いの内側と外側とを境界線で分ける行為を指す。そして、そこに絶対的な見解はなく、こちらがどこまで生命と見るかどうかで、定義は変わりうるものだ。生命を、誰かが作った客観的な定義だけに頼るのではなく、一人一人が主観的に生命とは何か、と考えてみることが大事なことだ。
 生命を広くとらえてみると、あらゆるものにいのちを見出せるようになる。人間は生命の代表格だが、ひとりの人間を構成するひとつひとつの細胞も生命だ。動物や植物や昆虫や細菌類、それらも生命だ。水や雲や光はどうだろう。地球や宇宙はどうだろう。生きている感覚、いのちのようなものを見出すから、生命と定義するとも言えるし、いのちを見出すことで生命と感じられる、とも言える。
 では、あるものを生命だと思う時と生命ではないと思う時、自分の中に何か違いが起きるだろうか。あるものを生命だと思うと、そこに生きている自分との「つながり」や「関係性」が生まれる。食事の時に生き物を食べる時でも、生命をいただくと思うだけで、何か自分自身、自分の体や心とのつながりを感じるだろう。そうした身体感覚こそが生命が持つ重要な部分ではないかと、自分は思う。
 いのちとは、「つながり」や「関係性」を作る働きではないだろうか。バラバラの原子や臓器、それだけでは動かない。脳と心臓、腎臓や肝臓、血管や血液、そうしたさまざまなものをつなげる力こそ、いのちの働きではないかと思う。
 キリスト教が日本にやってきたとき、「アニマ(Anima)」という言葉も同時にやってきた。ラテン語で生命や魂を意味する言葉だ。海外のキリシタンは、彼らが当り前に使っていた「アニマ(Anima)」という言葉の意味を、必死で伝えようとした。英語もラテン語も知らない日本人は、その語感と伝えようしている熱意から、必死にその意味を受け取ろうとした。当時の日本人は、アニマを「在り間」と文字を当てて解釈したらしい。
 つまり、存在同士の隙間や、存在の間にあるものを「在り間(アニマ)」だと受け取ったのだ。間をつなげる働きとして感じていたものを、「アニマ(Anima)」という言葉の響きから感じたのだろう。わたしたちは存在しているものに目が向かいやすいが、存在同士をつなぐ場そのものには意識が向かいにくい。ただ、存在たらしめている場や間にこそ「アニマ」が働き、つながりや関係性を生んでいるのではないだろうか。「アニマ(Anima)」は最終的に「たましい(魂)」や「いのち(命)」という翻訳語に落ち着くことになるが、固定観念がなく受け取ったときの子どものような感性には、その本質が含まれている。
 異なる国の言葉をまったく知らないからこそ、言葉に頼らずその本質を考える機会になる。言語化はバラバラのものを整理して分類する時には欠かせない働きだが、言葉を当てることで、何か本質が分かったような気になってしまう欠点もある。言葉を当てたことは、輪郭線を与えたことであり、自分自身の腑に落ちて本質を理解することとはまったく別次元のことなのだ。「アニマ」を「在り間」として受け取った感性をこそ、大事にしたい。
 いのちは、そうして存在の間につながりをつくるものだ。場のようなものを形成している。間はあらゆるものに見出せるだろう。細胞と細胞の間、臓器と臓器の間、頭と心の間、自分と他者の間、自分と環境の間、生者と死者との間。自分が生きている前提となる、自分を構成する無数の存在の関係づけている間でもある。

 医療は、いのちを扱うものだ。いのちはつながりや関係性をつくり続け更新させながら、生きる状態を保ち続けている。だから、自分と他者の間や自分自身の間に良好な関係性がつくられているときには、外部に医療を必要としないのだろう。自分と他者との関係性や、自分と自分自身との関係性が失われると、人は何かしらの不調を起こし、バランスが崩れる。時には病につながることもある。
 自分は、いのちをそうしたものと捉えている。間(あいだ)に働き、間(あいだ)を満たし、間(あいだ)を関係づける働きとして。医療は、いのちの働きを尊重せずには成立しえないものだ。人は生きている以上、体の中の細胞、体の中の血液や水、体の中の臓器や血管、あらゆるものが互いに関係性を持ち続けながら、生きている状態を保ち続けている。
 いのちは、生まれたときに、必ず与えられている前提となるものだ。数十億年に及ぶ生命の歴史の中で人の体は作られてきているので(しかも体の全ての臓器にその生命記憶の痕跡が残る)、人の体は極めて複雑なものになった。約六〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇(六十兆)にも及ぶ細胞が寄り集まった関係性が、生きている限り、起きている時も寝ている時も一瞬も途切れることなく続いている。
 人は一人だけで生きているわけではなく、あらゆる人や環境との関係や相互作用の中で生きていて、一人一人の内的世界で起きている調和の力は、自分と外の世界との関係性やバランスの中で到達できるものなのだ。だからこそ、人は不調和となりアンバランスになるときがあっても、全体としては調和やバランスを保とうとする力の方が上回ることで、いのちは全体性の中で変化し続けながら、生きている状態を保っている。
 大きくバランスを崩した時に、自分一人のいのちの力で元に戻すことが困難な場合、できる限りのサポートをするのが医療の役割だとも言える。医療者はプロとしての誇りをもって働いているが、すべての生きている存在の根底にいのちの力が働いていることで医療が成立していることを忘れてはいけない。一人一人にいのちの力がなければ、人は細菌を含めたさまざまな環境の中で生き続けることができないだろう。
 風邪をひいても自然治癒により自然に治ってくれるし、傷も自然にふさがってくれる。そうした見えない場所で働き続けているいのちの力のおかげで、日々生きることができる。医療は、それぞれが持ついのちの力が最も発揮できる場を整え、手助けする役目とも言える。病気や不調の原因も、単純な因果関係だけで説明できることの方が少ない。いのちの力は、専門家や素人(プロやアマチュア)という線引きを必要とせず、誰もが生まれながらに備わっているものでもある。自分は、一人一人の中に力強く活動し続けている、生きている人の中に備わっているいのちの力を感じながら、医療の職に携わっている。

死者がのこすもの

 そして、生きている、ということは「生き残っている」ということでもある。それぞれがいろいろな条件や環境の下で生きているが、全員が生き残っているわけではない。生きているだけで、生きることを継続できなかった誰かの代わりに生き残っているのだとも言える。戦争や災害などの特殊な状況を経て生き延びた人は、自分は「生き残ったのだ」という感覚が強く残りやすい。なぜあの人は生き続けることができず、自分だけが生き残ったのだろうか、と。
 ただ、そのことは日々の日常の中でも言えるだろう。医療の現場であらゆる苦難を受け止めながら生きている人の手助けになれるように働いているからこそ、感じる。生きている人は、それだけで生き残っている存在なのだ。そして、生き残っている人には、生き残っているだけの使命や役割があるのかもしれない。生きているだけで、死者の代わりに代表して生きているとも言える。実際の体験として他者の死を体験していなくとも、想像力で死を体験しただけでも、死から生へと何かが受け渡されるのを感じるはずだ。生き残っている人へ託した祈りのように。そういうことが、自分はいのちが受け渡されていることなのだと思う。いのちは光のように重なり、今生きている人のいのちと重なり合い、共鳴し合いながら存在しているように思う。
 こうした生と死の関係性を考える時に、自然の中にある木という植物を例にとって考えてみたい。木は太い幹を持ち、天と地をつなぐように、ただいるだけで大きな存在感を放っている。木は年輪と呼ばれるように、時を重ねることで中心の幹が大きく太くなっていく。
 こうした木の幹は、死んだ植物細胞がそのまま残ったものなのだ。植物の細胞は、動物の細胞と違い、細胞壁という硬い構造でひとつひとつの細胞が囲まれている。それに比べて、動物の細胞は細胞膜で外側と内側は隔てられていて、細胞膜は柔らかいため、細胞が死を迎えると細胞膜は破け形はなくなる。それに対して、植物細胞の細胞壁は硬くしっかりした構造を持っているので、細胞が死を迎えても、形としてしっかり維持することができる。
 だから、木の内部にある植物細胞が死を迎えると、死んだ植物細胞は木の幹として、木の構造を支える存在となり内部に残る。木の表面にあるのは生きた植物細胞で、その生きている植物細胞が増殖を繰り返して成長していく。やがて、表面にある生きた植物細胞も死を迎え、木の幹へと参加して死んだ形のまま構造を支える役割へ分担していく。
 こういうことが何年、何十年、何百年と繰り返された結果、普段見るような大きな木として成長していくのだ。木はそうして、巨大な死が内側で支えながら、少数の生が最前線で働きながら全体像が完成されている。生きた細胞と死んだ細胞と共同して形づくっている多細胞生物が、木という美しい生命体だ。
 こうした存在の在り方は、人間の世界でも似たことが言えるのではないだろうか。いのちを与えられて生まれてきた人は全員がいずれ死を迎える。生きた軌跡は、何らかの形でこの世界へと波紋を、影響を及ぼす。眼に見える業績を残していようともいまいとも、人は生きているだけで誰かと関係して関係性を持たずには生きていられないから、必ず作用を及ぼしているのだ。そうして文化や歴史は作られてきたし、歴史のほぼ全ては死者が受け渡して残されたものだ。
 人類の営みも、死者を中心にした厚い文化や歴史が中心として支えながら、いま生きている人たちが世界の表面を受け継いでいる。木はどこにでも溢れている存在だが、そうした木の存在のあり方は、死と生との関係性やいのちのやり取りに関して大きな示唆を与えるものだ。自然界は極めて巧妙な形で、生と死という矛盾した生命の状態を、矛盾なく同居させた在り方として存在している。

「わたし」ができるまで

 いのちは、そのようにして巨大な死から生の世界へと渡され、わたしたちは生まれてきた。では、そのいのちを育んでいく、プロセスはどのようなものだろう。
 そのためには、人間の成長のありかたを改めて辿っていく必要がある。わたしたちは、どんな人も例外なく圧倒的な弱者としてこの世界に生まれてくる。そこに例外はない。この世にいのちを与えられて生まれてくるが、赤ちゃんは圧倒的に弱い存在だ。誰かが食事を与え、衣服を着せ、雨露をしのがせ、排尿・排便の手伝いをする必要がある。絶対的に誰かに守られ、支えられ、大切にされる体験が必要になる。
 わたしたちのいのちのはじまりは、そのように守られて、大切にされるという体験を通しながら、その体験を通して愛されることを最初に学ぶのだ。それが人間の生の中核にあり、それはどんなに奥深くに隠れていても、人が生きて、生き残っている限り、そうした体験が生命の中核に間違いなくある。愛され、大切にされる体験がなければ、人は生きている状態を続けることすらできないのだ。
 医療者は、そうした愛の体験が生命の核に、目に見えないいのちの奥深くに働いていることを知っているからこそ、どんなに困難な状況の中でも、希望を持って前へ歩いて行けるとも言える。いのちの根っこの奥深くつながっている先を知っているからこそ、どんな困難であっても深く支えられていることを信じることができる。
 人は常に何らかの支えを必要とする。病気になり、調和が乱れ、心の状態も不安定になると、どうにも落ち着かなくなり、不安になってくるものだ。そういうときに人は何かの支えを必要とする。いのちの根っこには、そうした確固とした愛の体験により深く根っこがはり、自立して支えられているものがあるのだ。
 たとえどんなにいじめられ、虐待を受け、辛い目にあって育った人であっても、それが生みの親ではなかろうとも、必ず愛の体験があるからこそ、人は死なずに生き残り、生き続けている。生きている人には、そういう前提が必ずあることは、苦難をくぐりぬけて生きていくときに大きな支えとなるものだ。忘れていようとも。

 そうして支えられ、愛される過程の中で、人は様々な情緒(emotion)や感情(feeling)を学習していく。発達心理学では、生後一か月頃、人が最初に学ぶ情緒は「不快」だとされる。それは、生命が厳しい環境を生き抜いていく中で最初に覚えなければいけなかったものなのだろう。心地よくないものを理解し、そのことを回避することで生存確率を高め、なんとか生き延びようとしてきた生命の歴史が垣間見える。
 不快という感情の後に、生後三か月頃に「快」というものを学ぶ。人は、そうして生後の間もない時期に、与えられた環境から、「不快」・「快」を学び、それが土台となって複雑な情緒や感情を学んでいく。生後六か月頃には、「不快」はさらに細かく分かれ、「怒り」、「嫌悪」、「恐れ」などを学習して情緒は彩られていく。
 当たり前のことだが、わたしたちが生まれたときからこうした情緒を客観的な定義と共に理解しているわけではない。生まれ、生きていく過程の中で、周囲の環境との相互作用の中で、そうしたものを自分の心の中に位置づけていくのだ。環境と自分自身と、外側の世界と内側の世界と、その異なる二つの世界の接点として学ばれていくものだ。
 情緒や感情が自分自身にとってどういうものか、どういう使い方をするの、ということは、仮に決めては壊し、仮に決めては壊し、という作業を果てしなく繰り返していく中で暫定的に決めていくものだ。人は大枠では同じようなものを共有しているが、細かく見るとひとりひとりが全く違う感情と付き合っている。外の世界と内の世界とは全員が異なり、その干渉面として立ち現れてくるのが「わたし」という自分自身でもあるからだ。
 そのようにして、生後一か月頃から人は情緒を学び続けている。個人差はあるが、二歳の時には人間としての基礎的な情緒は学習され、五歳頃には成人とほぼ同程度の情緒が学習される。そうして、人はつかの間の人生をよりよく生きるために、急ピッチで情緒が学習されていくのだ。
 そうしたプロセスの根底にある目的は、わたしたちが生まれたときに与えられた「いのち」を寿命まで適切に使うため、内側のいのちを守るために学ぶのだろうと思う。だからこそ、中核にある、守るべきいのちの存在を忘れてはいけない。感情もそのために人に与えられた一つの道具なのだ。人には寿命というものがあり、与えられたいのちの長さは、どんな力を持ってしても、むやみに引き延ばせない。寿命もある意味で与えられたものであり、そうして与えられたものを最大限に精一杯使うため、わたしたちは情緒や感情という内的世界で働く心のエネルギーの動きをひとつずつ学び、自分自身の内部ともうまく折り合いをつけながら、生きていくのだ。
 自分のことを何でも知っていると思うのは、脳が作り出した合理化であったり、単に知らないものを見ていないだけでもある。自分自身は常に未知の存在として立ち現れている。自分の感情の動きやその由来さえ、分からないことは数多くある。そうした未知のものを発見しながら自分自身と折り合いをつけていく過程こそ、外側の世界と内側の世界とをつなぐ「わたし」の役割でもある。
 わたしたちはいのちを与えられ生まれ、そのいのちを守るために、内的世界の「情緒」を学習しながら自分自身とうまく付き合うことを学んでいく。その過程の中で、「わたし」という自意識はおのずから立ち上がってくるものだ。
 「わたし」や「自我」への目覚めは一歳半頃から起きる。「わたし」は、外側の世界を自分の内側へ取り入れるための防波堤として、干渉地点として、波打ち際のような接点として、外から内側を守り、かつ外とつながる場所として生まれてくる。「わたし」は、外の世界と内側の世界とのずれや違和感に悩み、もがき、格闘しながら、その間が連続的になめらかに、心地よくつながるものとして作られていくのだ。
 時には「わたし」は壁として働き、内的世界へこもることも必要だろう。外側から見るとまるで引きこもりのようにも、抑うつ状態のようにも見えるかもしれない。ただ、それはその人にしかわからない内側の世界をしっかり守っている過程だと思った方がいい。なぜなら、その人のいのちは、内側の奥深くに宿っているから、いのちを守り、育む状態でもあると言えるからだ。
 天岩戸のように内側へ籠る時間は短い人もいるし、長い人もいる。その長さは、時計で計れる客観的な時間ではなく、誰かと比較されるものではなく、その人にしかわからない固有の時間が働いている。それはいのちや魂の時間とも感じられるだろう。表面だけではなく、その深層にある大きないのちの動きを見ないと見誤ってしまうことがある。

イニシエーションという体験

 いのちを与えられた赤ん坊はこどもとなり、大人になっていく。子どもと大人とは、何が違うのだろうか。答えは無数に存在するだろう。人の発達のプロセスをみていて個人的に感じることは、この世界に生まれ、生き残り、その結果「生きる」ことを自分自身の意思で選択することが、子どもから大人になるプロセスなのだと思う。そして、そのプロセスには必ず内的な死が伴うものだと思う。そのことを少し補足して説明したい。
 外側の世界と内側の世界との接点から立ち上がってきた「自分」という存在は、生後すぐから急ピッチで作られていく。それは、暫定的な仮の自分のようなもので、この世界を生き延びていくために必要だった。ある程度はその場しのぎも含んだ突貫工事の戦略だった。思い通りにならない現実を多々経験しながらも、自分の中に体験として取り入れ、位置付け、表面的には忘れたり記憶したりする複雑な過程を経ながら、自分という輪郭や実態を形作っていく。
 「わたし」はそうして構成されてくるが、そうした「わたし」の内部構成も、どこかで大きく壊されて再創造される必要が出てくる。一度死に、再生する必要が出てくる。仮に作った自分という総体を一度捨て去り、新しい自分が生まれる体験として。人生は受動的に与えられて始まるから、自分自身で決意し、自分自身やこの人生を丸ごと引き受けて、この世界に生きていく決意をする必要がどこかで出てくるのだ。
 もちろん、人は心と体を持ち、体は少しずつ成熟していくので、体の成熟過程が大人になる過程ともいえるが、それだけでは不十分だ。体の変化とあわせるように、心もそれに一致して変化していく必要がある。それは仮の自分が一度死を迎え、自分自身の喪に服し、新しい自分が再生するような生まれ変わるプロセスとして、新しい自分が誕生するプロセスとして感じられるだろう。
 そうした内的変化をより強く意識するために、古代の儀式ではイニシエーションという通過儀礼が存在していたのではないだろうか。ただ、儀式は本質が失われると形骸化し、人の成長を守るためではなく、暴力的に人を管理するために使われてしまうことがある。そうした副作用の方が大きく働いたことで、近代の中でそうした外側の儀式は一度失われたのだろう。
 ただ、人間の内的世界での成長のプロセスは変わらない。だからこそ、何らかの手段で意識化する必要が出てくる。現代では、そうした魂の儀式はさまざまな形で現象化しながら、時には問題行為として表出しながら、若い人たちはひとりひとりが必死に模索して行っているようにも見える。表面に見える行為だけではなく、その裏側にある内的世界のプロセスに想像を馳せると、そうしたことを感じる。内的な世界での死と再生が間違って扱われると、肉体の死として行動されてしまい自殺行為につながることもある。周りは心の問題と体の問題とを混同させないように注意しながら、適切な方向へと導く必要がある。
 わたしたちは、わけもわからずいのちを与えられてこの世界に産み落とされ、生きていく。そのはじまりの前提にあるものは、あくまでも受け身のものだ。いのちを与えられ、命がけで母体の産道を通り抜け、この過酷な環境の中で必死に生き抜いていく。どの時代でも、生きることが過酷であることは共通だ。過去には過去の、現代には現代なりの過酷さがある。あらゆる環境から「わたし」を立ち上げて生きていく中で、人はそれぞれが与えられたいのちを引き受ける時がくる。それは、受け身として与えられた人生から、人生に対して自発的に働きかける側に転換する地点。与えられた側から、与える側の人生に回ることでもある。
 それは生まれ変わるような転換を必要とする。内的な死の体験を経るのだから、極めて大変な時期だ。多くの人が旅の伴走者になることはできるが、登山と同じで最終的には自分自身の足で登らなければいけない。受けとったいのちを引き受けて、自分の意思で自分の人生を生きると決意する時は、意識しようともしまいとも、必ず遭遇している。「おのずから」生きているいのちから、「みずから」生きるいのちへと、自分の中でのいのちの意味が転換する。そのことで、「おのずから」と「みずから」は、あわいとなって重なり共鳴する。
 人は、与えられたことは、与える側に回ることでしか学ぶことはできない。誰かに大切にされた体験は、誰かを大切にする体験によってしか、学ぶことはできない。自分が弱者であったときにしてもらったことは、弱者に対して自分が何かをする側に回らない限り、学ぶことはできない。自分がする側に回るときに、はじめて自分が与えられた側にいたときのありがたみも苦労も、共に体験として自分の中に一致して受け入れられるものだ。

「医療」を捉えなおす

 医療の根底には、そうした人間のプロセスが根底にある。赤ん坊の時は圧倒的な弱者として生まれてきた。それに加え、自分は子どもの頃身体が弱く、周りの子供たちよりも圧倒的な弱者だった。体育や学校にもまともに参加できず、体は弱かった。だからこそ両親や姉や家族や親せきや友人に、医療者や名も知らぬいろいろな人に、助けてもらうことでしか生き残ることはできなかった。そのことを強く記憶しているからこそ、自分は今こうして医療者の側へと回り、自分が医療を与える側に回ることで、自分が与えてもらったことも同時に体験しながら学んでいる。
 だから、この世界には多様な人がいるのだ。人は誰もが弱者として人生は始まり、愛の体験により生かされていのちを長らえることができるからこそ、この世界には強いものだけではなく、弱いものも必ず必要だ。環境や状況次第で、どんなに強いものも容易に弱いものへと変わりうる。それは医療の現場で働いていると痛感する。わたしたちが生まれたときにしてもらったことの恩返しをするために、自分が少なくとも元気な時は困って苦しんでいる人の力になれればいいと思う。困っている人への気づかいや大切に思う心があるからこそ、医療は成立するのだ。
 そうして、いのちを大切にすることが土台となり、医療は受け継がれていったが、時代と共に医療は細分化し専門化し複雑化していった。西洋医学も急性期医療や感染症や、原因が単一で特定しやすい分野においては、目覚ましい進歩を遂げた。公衆衛生の進歩や、感染症を少しずつ克服していく西洋医学の発達は、ひとびとに大きな希望を与えるものだった。その結果、今に至る複雑な医療制度へと行き着いている。ただ、そこで行われる細かい技術は医療の大木から枝葉として分かれた果実であるから、その幹や芯にあるものが医療において大切なことだ。誰もが共にいのちを持ち、誰もが弱い時期を経て生き残っている、という共通の思いこそが医療の土台にあるはずだと思う。
 いのちがないと、人は生きていくことができないのだ。だからこそ、今後の社会はいのちを中心とし、生命を核として考えていく社会になっていくだろうと思う。そうしないと、いのちが喪失した社会になっていくだろうから。

いのちとともにある医療

 いのちの原理は、この宇宙の中でも重要な原理だと思う。通常、現代物理学の原則では、物事は乱雑さへと向かう方に動いていく。液体の水は器がないと形を失って乱雑な方向へとひろがっていくし、気体のガスも空気中へ消え去るように拡散していく。より乱雑でバラバラな方へと動いていくのが自然の摂理なのだが、いのちだけは、ある種の調和や統合の方へ向かって存在している。生きようとするいのちの力は、体や心をひとつの統合体としてまとめあげようとする調和の力が根底にある。
 こうしたいのちの原理は、自然界でも珍しい在り方だからこそ、自然から与えられたいのちの力から、学ぶことが多くがある。この多様化した社会の中で、多様性と調和という矛盾する状態を実現していくためにも。人類は、いまだ命の秘密を解き明かしてはいない。だからこそ、そこに上や下はなく、全員が同じ立場だ。学究の徒として、学友として。医療者や科学者だけが知っているわけではない。この世界に生まれたときに与えられたいのちの原理を体感しながら学び続けることは、そのまま平和運動にもつながると思う。なぜなら、いのちは、ある時には戦いを包含しながらも、全体としては調和の方向へと向かい続けている存在だから。
 医療とは、こうして生命ある世界にあたえられたいのちの力を共に学びながら、いのちの力が最も発揮できる状況や環境を準備し続ける存在であるとも言える。医者が患者を治す、というのは一面的な見方で、自分自身のいのちの力で治っていくプロセスを、医療者ができる限りサポートしている、というのが実像に近いだろう。なぜなら、生きていることが、すべての医療の前提になっているのだから。
 いのちは、生まれたときに与えられたものだ。そして、死ぬときにまたお返しするものだ。だからこそ、他者の死からは、生きていた証しとしてのいのちを受け取ることが必要となる。それは、まさに鎮魂ともいえるのだろう。
 他者の死ではなく、自分の死はどうだろうか。自分が眠る瞬間を覚えていないように、わたしたちは自分たちが死ぬ瞬間を覚えることはできない。主観的な自分の死は、永遠に体験できないものなのだ。
 一般的に感じている死への不安は、情報化としての死について感じているものだ。テレビや活字や映像で見る情報化された死。情報化された死はバーチャルで存在しない死だからこそ、自分自身の不安や恐れと連結しやすい。それは存在を揺さぶっている証拠でもある。死に恐れを感じているのではなく、情報化した死と、自分の恐れとが結びついているだけなのだ。
 だから、死を恐れる必要はない。死とおそれとを結びつける必要はない。死はいのちの中に包含されているものだ。自分自身の人生は、与えられたいのちの寿命が尽きたら、幕を閉じるだけなのだ。主観的な死を体験することもない。一日一日として完結した日々が、未知の自分と出会い続ける日々としてつながっているものが人生なのだ。人生はそうして日々創造されている。
 生きていると、かならず他者の死と出会うだろう。そうしたら、他者のいのちを受け取る側にいる、ということだ。いのちは、受け取ろうと思えば受け取れるものなのだ。いのちはそうしてつながってきた。光が輝くように重なり合いながら、厚みと強さを増すようにして。そうした束の間の人生の中で、長く短く厚く豊かな人生の中で与えられたいのちの中を生きている。
 弱い存在として生まれ、誰かの愛によってしか生き残ることができない存在だからこそ、医療は存在する。それは、生きていることの恩返しのような行為だ。与えられたものをより深く理解するために、わたしたちは与える側に回る必要がある。医療は、それぞれが与えられたいのちを生き切るために、希望をもって人生を最後まで生きていくため、必要なものだ。
 それは、いのちを共に与えられた存在同士だからこそ、お互いに必要とし合うものなのだ。いのちは与えられるし、与える。いのちを共に育み、深め合うものとして、医療は存在している。

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稲葉俊郎(いなば・としろう)

 1979年熊本生まれ。医師。2004年東京大学医学部医学科卒業。2014年東京大学医学系研究科内科学大学院博士課程卒業(医学博士)。現在、東京大学医学部付属病院 循環器内科 助教。
 東大病院では、心臓を内科的に治療するカテーテル治療や先天性心疾患を専門とし、往診による在宅医療も週に一度行いながら、夏には山岳医療にも従事している(東大医学部山岳部監督)。医療の多様性と調和への土壌づくりのため、西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。国宝『医心方』(平安時代に編集された日本最古の医学書)の勉強会も主宰。
 古来の日本は心と体の知恵が芸術・芸能・美・「道」へと高められ心身の調和が予防医療の役割を果たしていた、という仮説を持ち、自らも能楽の稽古に励む。未来の医療と社会の創発のため、伝統芸能、芸術、民俗学、農業・・・など、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。

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