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加藤浩子のオペラ・トーク
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第1回 ジェルモンは本当に「悪人」か?−オペラ《椿姫》にみる人間像の豊かさ
第2回 「悪女」は世につれ・・・オペラを彩る個性的な女たち
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第1回 ジェルモンは本当に「悪人」か?−オペラ《椿姫》にみる人間像の豊かさ

 ある主催者の話によると、日本人に一番人気の高いオペラは、《椿姫》だという。
 その主催者は、海外のさほど有名ではない劇場を招聘し、手ごろなチケット料金のオペラ公演を、全国で提供しているところなのだが、《椿姫》だと、全国くまなくお客さんが入るのだそうだ。〈乾杯の歌〉など超のつく有名曲も含めた美しい音楽と、泣けるストーリーの相乗効果だろうか。
《椿姫》 第2幕 ジェルモンとアルフレード 撮影=堀衛(提供=東京二期会)  ご存知ない方のために、ストーリーをざっとご紹介すると・・・ヒロインはパリの高級娼婦。複数のパトロンを持ち、贅沢三昧をしているが、自堕落な生活がたたって結核を病んでいた。ある日、彼女を1年来想っていた田舎出の青年アルフレードと出会い、その情熱に打たれて同棲することに。が、そこへ現われたのがアルフレードの父ジェルモン。ヴィオレッタの過去にこだわる彼は、世間体を理由に別れを強要する。ジェルモンの望みに従い、理由も告げずに泣く泣くアルフレードのもとを去るヴィオレッタ。アルフレードはヴィオレッタが元の生活に戻ったのは、昔のパトロンとの縁が切れなかったためと思い込み、パーティでヴィオレッタを侮辱する。まもなくヴィオレッタは死を待つばかりの身となるが、いまわの際にすべてを知ったアルフレードが駆けつけ、ヴィオレッタは恋しいひとの腕に抱かれて息絶える。・・・
 いたって分かりやすいストーリー。音楽も美しく繊細であると同時に劇的で、人物の心理に細やかに沿っていくので、感情移入しやすいオペラでもある。最後の場面で客席からすすり泣きの声が漏れるオペラといえば、《椿姫》と《蝶々夫人》が双璧だろう。
 
 ところで、劇作品に欠かせないのが悪玉の存在である。オペラの場合、よくあるパターンは、若い男女の恋を第三者が邪魔するというパターンだが、この第三者(=悪玉)=恋敵という設定が多いなか、《椿姫》では男の父親のジェルモンになっている。手を変え品を変えしてヴィオレッタに息子との別れを迫るくだりがなかなか老獪なので、「悪いヤツ」という印象を与えがちだ。
 だがちょっと待って欲しい。ジェルモンは本当に「悪いヤツ」なのだろうか。

 オペラ《椿姫》には、原作がある。アレクサンドル・デュマ=フィスというフランスの作家が書いた小説『椿姫』だ。これは作家本人が、パリの有名娼婦と付き合った経験を美化して創り上げたもの。当時(19世紀半ば)のパリには、「クルティザンヌ」と呼ばれる高級娼婦がいたが、彼女たちは一般の娼婦と異なって誰にでもなびくわけではなく、限定された客とつきあい、複数のパトロンを持って贅沢な生活を送っていた。小説によれば、「4万フランの借金がありながら、年に10万フランも使う」ような状態だったというから、豪遊ぶりがうかがわれる。またよいパトロンを持った娼婦は、サロンのような場所を主催し、しょっちゅうパーティを開いていたらしい。今ならさしずめ、ヒルズ族あたりを渡り歩き、豪華なマンションを買ってもらい、夜な夜な合コンパーティを開いている女性といったところだろうか。
小説のモデルとなったパリの高級娼婦 マリー・デュプレシス(C.Roqueplan 水彩画)  21世紀の日本なら、そのような女性でも結婚相手として問題にはならないかもしれない。けれど小説『椿姫』の舞台となった19世紀のパリでは、事情は違った。フランス革命は経過したとはいえ、まだまだ身分社会が残っていた当時では、結婚というものは同等かあるいはそれ以上の階級の相手とするもので、その条件に愛情という言葉はなかった。さらに女性の場合、処女性はなくてはならないものだったのである。だから娼婦は結婚相手として考えられなかったし、また娼婦になるということはまず間違いなく下層階級の出身者だった。そのような階級の相手と結婚するなら、現在属している階級を捨てなければならなかったという。
 まして『椿姫』の男性主人公は、南フランスの田舎の官吏の息子という設定。その家族が、大都会のパリよりよほど保守的だろうことは想像がつく。そのようなことを知れば、父が必死になって息子を取り戻そうと飛んでくるのも理解できるのではないだろうか。それも父親の情愛かもしれない。
 オペラ《椿姫》には、この息子への想いが音楽で巧みに表現されている。ジェルモンは息子に向かい、故郷に帰って来いと呼びかける〈プロヴァンスの海と陸〉というアリアを歌うのだが、これがとても美しく、心に沁みる歌なのだ。この歌を聴けば、ジェルモンが本当の悪人ではないことが納得できるのではないだろうか。音楽の持つ説得力である。もちろん作曲したヴェルディも、そのつもりで書いていただろう。
壮年期のヴェルディ肖像
 ジェルモンが敵視される理由は、オペラの作劇にもある。ヒロインが原作より、ずっと美化された女性になっているのである。原作の小説には、娼婦に対する世間の視線の冷たさを描写した部分が少なからず登場するし、またヒロイン自身もまともに字が書けなかったりと、育ちの悪い「地」を覗かせる箇所もある。けれどオペラではなぜか、このようなヒロインのマイナス面がごっそり削られてしまった。ヴィオレッタはひたすら献身的で、立派な女性に描かれているため、よけい観客の同情を誘う。まして音楽という、感情を揺さぶるのにはうってつけの武器がついているのだから・・・。
 ただ、オペラを作曲したヴェルディが、ヒロインの職業を描写するためにひとつだけこだわった部分がある。オペラを作曲するにあたり、原作の『椿姫』というタイトルを、《ラ・トラヴィアータLa Traviata=道を踏み外した女》に変えたのだ。このタイトルに、ヴェルディの意図は凝縮されているといってもいいだろう。
《椿姫》 第1幕 乾杯の歌  Photo: Catharine Ashmore(提供=ユニバーサル・ミュージック)  ちなみに海外では、《ラ・トラヴィアータ》のタイトルで上演されている。日本でも本来ならそうするべきなのだが、なぜか《椿姫》のタイトルが定着してしまった。まあ、いまさら《道を踏み外した女》では、お客が入らないかもしれないが・・・。

 そんなこんなのオペラのあれこれを、オペラのベーシックな知識を交えながら書いたCDブック、『オペラ 愛の名曲20選+4』をこのたび上梓した。「愛」をテーマに、オペラの名作からそのテーマに見合う歌を20曲選び、さらにワルツや行進曲など、器楽中心の曲を4曲選んで、オペラにこのような曲が登場する背景を説いた。核心となる「愛」の歌については、さらに「愛の歓び」「せつない愛」「恋が終わる時」「親子、そして友情」の4つに分類している。《椿姫》に関しては、〈乾杯の歌〉と、上にあげたジェルモンのアリア〈プロヴァンスの海と陸〉を収録してある。「愛」に伴うひとの感情のさまざまを表現するのに、作曲家たちがいかに心を砕いたか、名演ぞろいのCDと一緒にかみしめていただければ幸いである。

 
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第2回 「悪女」は世につれ・・・オペラを彩る個性的な女たち

 「悪女」はいつも、オペラの「華」である。
 などと書くと、いや違う、と反論されるかもしれない。多くの超有名オペラでは、ひとりの男性に純粋な愛を捧げる女性がヒロインになっているからだ。《椿姫》《リゴレット》(ヴェルディ)しかり、《蝶々夫人》《ラ・ボエーム》(プッチーニ)しかり、《タンホイザー》《トリスタンとイゾルデ》(ワーグナー)しかり。
 けれどちょっとオペラになじんでくると、オペラの悪女ほど面白いものはない。彼女たちには、それぞれ個性的な魅力があるからだ。《カルメン》(ビゼー)のヒロイン、《サロメ》(リヒャルト・シュトラウス)のヒロイン、《サムソンとデリラ》(サン=サーンス)のヒロイン、《アイーダ》のアムネリス・・・彼女たちがいなかったら、オペラの物語世界ははるかに味気ないものになっていただろう。
 貞淑とはいえないヒロインたちまで範囲を広げれば、「悪女」は一気に多数派となる。いつの間にか亭主になった育ての親がうっとうしくて恋人を作った《道化師》(レオンカヴァッロ)のネッダや、ぜいたくが忘れられなくて若い恋人を捨てる、《マノン・レスコー》(プッチーニ)&《マノン》(マスネ)のマノンには、共感や理解を覚える女性も多いだろう。
マスネ《マノン》最後の場面(初演の舞台画)  そもそも、ひとりの男性に真心を捧げる女性を理想としたのは19世紀の市民社会だった。それ以前は必ずしもそうではなかったし、宮廷社会にあっては愛人を持つのは当たり前だった。17世紀の代表的なオペラ作曲家、クラウディオ・モンテヴェルディが最晩年に作曲したオペラ《ポッペアの戴冠》は、皇帝と部下の妻という不倫カップルが、皇后を追放してめでたく結婚するという、ミもフタもない筋書き。プロローグでは、(官能的な)「愛」こそが、美徳や善をもしのぐと賛美される。現代でもやや退廃的に感じられてしまうテーマだが、この作品が初演されたイタリアのヴェネツィアは、名だたる歓楽都市だった。官能的な「愛」を至上とする作品が生まれた背景には、それを受け入れる環境があったのだ。同じ部下の妻との不倫でも、19世紀に作曲された《仮面舞踏会》(ヴェルディ)では、恋人たちが「名誉」と「友情」を重んじて踏みとどまるのとは、対照的だといっていい。
 「貞操」が名誉であり、絶対的なものとされる傾向は、フランス革命を経て、市民社会が形となってから強まった。舞台だけ観ているとまるで聖女のように思える《椿姫》の主人公も、娼婦だということを考えれば「悪女」であるともいえる。《椿姫》が初演された19世紀半ばは、そのような風潮(少なくとも建前は)がもっとも強かった時代でもあった。オペラ《椿姫》のテーマは、社会から忌み嫌われるべき存在であるべき娼婦でも、高潔な魂を持ちうるということだといえるが、そもそも娼婦が主人公になったこと自体が型破りだった(詳しくは「オペラ・トーク」第1回をご参照ください)。
 本当の意味での「娼婦型」のヒロインといえば、マノンだろう。贅沢と享楽がやめられず、純情な恋人を振り回し、堕落させる。原作となったアベ・プレヴォの小説『マノン・レスコー』では、相手を傷つけるつもりなど毛頭なく、贅沢と快楽に惹かれるまま無邪気に不貞を繰り返す、生まれながらの小悪魔が描かれている。この小説に基づいて何作ものオペラが書かれたが、そのなかで今も上演されているのは、マスネ(《マノン》)とプッチーニ(《マノン・レスコー》)の作品。同じ原作なのに、プッチーニ作品ではヒロインがより純情に、マスネ作品ではより妖艶に描かれているのが面白い。作曲家の趣味と個性、そしてそれぞれの出身国(マスネはフランス、プッチーニはイタリア)の音楽の趣味の反映だろう。
プッチーニ《マノン・レスコー》(初演ポスター)  さて、オペラ悪女の真打ともいえる扱いを受けているのは、《カルメン》の主人公ではないだろうか。自分で相手を選び、惚れて惚れさせ、愛が消えるときっぱりと切り捨てる。たとえ殺される破目になっても、自分の心を裏切ることはしない。貞淑とは程遠い女性だが、潔くてかっこいいのも事実。ひょっとしたら今どき、カルメンを「悪女」とは誰も思わないかもしれない。
ビゼー《カルメン》(初演でカルメンに扮するレスティン・ガリ=マリー)

 だが初演された当時、《カルメン》は激しい非難にさらされた。最初の2幕はかなりな拍手で迎えられたというが、3幕4幕と進むうちにそれも途絶え、最後は氷のような冷たさが劇場を覆ったという。というのも《カルメン》が初演されたオペラ・コミック座は、中産階級の家族連れが常連で、お見合いの場にも使われるというお行儀のいい劇場で、ジプシーのような下層階級が主人公の刃傷沙汰の恋愛劇など、お呼びではなかったのである。まだ36歳の若さだったビゼーは、《カルメン》の初演後3ヶ月でとつぜん世を去ってしまったが、一説によると自信作だった《カルメン》の失敗のショックが大きかったという。
 だがオペラの原作となったメリメの小説『カルメン』の主人公の悪女ぶりときたら、オペラの比ではない。ここでの彼女は、徹底的に自立していると同時に、「あばずれ」のようでもある。密輸や詐欺や売春は当たり前、強盗や殺人も厭わず、おまけに牢屋に入っている札付きの悪党と結婚していた。つまり亭主持ちだったわけだが、恋人のホセはそんなことはもちろん知らず、亭主が出所してきて初めて悟るありさまで、ついには嫉妬のあまりその亭主を殺してしまう。カルメンにつられて?ホセもオペラよりよほど肝の据わった男になっているのだ。原作通りのカルメンがオペラに移し変えられていたら、21世紀の今でもあまり支持されなかったかもしれない。
 当然、ビゼーたちも反発を予想した。原作の過激さは、オペラではかなり削られている。カルメンは独身になったし、恋人のホセも、カルメンに惹かれて悪党仲間に入るものの、殺しや強盗に手を染めたりはしない。さらにホセは母思いという性格を与えられ、故郷に母親の決めた婚約者がいるという設定になった。オペラ《カルメン》のなかでは、このホセの婚約者ミカエラが、19世紀型純情タイプを代表している。実は初演当時、もっとも共感できる人物と評されたのは、ミカエラだったという。

 時代が下り、世紀末になると、それまでとは違ったタイプの悪女も現われた。《サロメ》のヒロインはその代表だろう。聖者ヨカナーン(ヨハネ)に一目ぼれし、キスを迫ったが拒絶されたので、ヨカナーンの首を切らせてその唇にキスをする。行動をなぞれば身震いしてしまいそうだが、動機はヨカナーンへの「恋」なのだ。一途といえば一途、純愛といえば純愛なのだけれど、だからといってサロメを「19世紀型純情タイプ」に分類できるはずもない。ストレート型より倒錯型に魅了された世紀末という時代を象徴する、悪女型ヒロインといえようか。
踊るサロメの肖像(フランツ・フォン・シュトック画、1906年)  男を破滅させる小悪魔型ヒロインも、20世紀に入るとシニカルで冷酷になる。プロローグで「女の原初の形態」と紹介される、《ルル》(ベルク)のヒロインは、マノン以上に男を振り回すが、涙や口説き文句とは無縁。街娼となって客に殺される結末もマノン以上に無残だが、なぜかからりとした後味が残る。家族や郷土のようなしがらみから解き放たれた、20世紀の乾いた人間関係も影響しているようだ(揃ってルルに魅惑され、破滅する実の父子すら登場する)。アルバン・ベルクの音楽もまたからりとして、救いようのない出来事を淡々と紡ぐ。これに比べれば、マノンもカルメンも数段湿っぽい。
アルバン・ベルク《ルル》(初演、パリ- 1979年2月24日)  音楽が変わり、時代が変わると悪女も変わる。良妻賢母はオペラにならないが、悪女あるいはその要素を持った女性は、音楽が心理や感情に切り込むオペラという形式で、強烈な存在感を放つ場合が少なくない。あなた好みの悪女、オペラで見つけてみませんか?

 
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著者プロフィール
加藤浩子(かとう ひろこ)
東京都出身。慶応義塾大学大学院修了(音楽学専攻)。在学中、オーストリア政府給費留学生としてオーストリア、インスブルック大学に留学。大学講師、音楽物書き。オペラ、とくにモーツァルトとヴェルディのオペラ、そしてバッハをはじめとする古楽をこよなく愛し、執筆活動のほか音楽ツアーの企画同行も行う。著書に『今夜はオペラ!』(春秋社)、『バッハへの旅』『黄金の翼 ジュゼッペ・ヴェルディ』(以上、東京書籍)、『さわりで覚えるオペラの名曲20選』『さわりで覚えるバッハの名曲25選』『人生の午後に生きがいを奏でる家』(以上中経出版)。共著に鈴木雅明氏との『バッハからの贈りもの』(春秋社)他、多数。
ホームページアドレス:http://www.casa-hiroko.com
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2006-09-08T14:35:00+09:00