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今年は、モーツァルトの生誕250年。あまたいるクラシック音楽の作曲家のなかでも、抜群の人気を誇るモーツァルトだが、今年はいっそうヒートアップしているようだ。
なぜモーツァルトは、そんなに人気があるのだろう。
多くのひと、とくにふだんはクラシック音楽にあまり接していないひとは、モーツァルトが「聴きやすい」ことを理由にあげる。他のクラシック音楽の作曲家、たとえばベートーヴェンやブラームスのように、構えて聴くというイメージが、モーツァルトにはないらしい。
たしかにモーツァルトの音楽は、旋律が美しく親しみやすく、バランスが取れていて優美。1曲の長さも、ベートーヴェンほどじゃない。ただ流していても気にならない、いわばBGM的な聴き方が許される作曲家なのだろう。
そんな音楽のせいだろうか、モーツァルトといえば長い間、「きれいな音楽を作った、昔の作曲家」というイメージがあったような気がする。肖像なども、かつらをつけた当時の服装のものが多いから、昔のひと、という印象がよけい強かったのかもしれない。
そのモーツァルトのイメージを覆したのが、映画「アマデウス」だった。けたたましい笑い声をあげ、女にふざけかかる素っ頓狂な素顔・・・衝撃的といえば衝撃的だったが、あの映画がなければ、人間モーツァルトは、少なくとも一般のひとにとっては、まだまだ霧のかなたの存在だったかもしれない。
けれど、モーツァルトの音楽をていねいに聴いてゆくと、「アマデウス」に登場するモーツァルトももっともだ、と思う。とくにオペラの音楽には、モーツァルトの鋭い人間観察の成果が、いかんなく発揮されているのだ。女性と見ればとびつかずにはいられない思春期の少年の衝動も、口説き口説かれるその過程と陥落の瞬間も、自分を捨てた男を憎みつつも忘れられない女の純情も、嫉妬に狂った恋人をなだめる女の媚態も、恋人の貞操を疑い、苦しむ男の葛藤も、夫の浮気に悩む妻の哀しみも、モーツァルトの手にかかればごく自然な、美しい、そして残酷な音楽に変貌する。ひとの心の、とくに男女の間の機微をさりげなく、そしてあざやかに掬い取る腕前にかけて、モーツァルトの右に出る作曲家はいない。
モーツァルトは、とても「ませた」男性であり、作曲家だった。生まれもった鋭い感受性に加え、幼いころから父に連れられて各国を回り、王侯貴族から従僕、市井のひとびとまで、さまざまな階層の人間に接したことが、彼の人間描写を豊かにしたように思われる。
たとえば。
〈手に手を取って〉という二重唱がある。チャーミングな旋律がとても有名なので、どこかで耳にしている確率のきわめて高い1曲だ。
何も知らなければ、そのまま聴き流してしまうだろう。けれどこの曲が置かれた、オペラ《ドン・ジョヴァンニ》の当該の部分をよく眺めてみると、とつぜんスリリングな情景が見えてくる。〈手に手を取って〉という二重唱は、実は口説きと陥落の過程と瞬間を描いた、きわめて雄弁な音楽なのである。
はじめに誘いをかけるのは、もちろん男のほう。「手に手を取って/あそこではいと言うのだ」。ちょっと尊大な感じがするのは、男は貴族で、相手の女は農民の娘だから。出会ったばかりの女は、当然ためらう。「どうしようか/胸が震えるわ」「行こうか、やめようか」惑いながらも、女はだんだん男に惹かれていく。というのもこの男性、なんとこれまで2000人以上の女性をものにした、いわくつきのプレイボーイなのだ。もちろん女はそんなことなど知らないが、男から発散される強烈なフェロモンを、無意識のうちに嗅ぎつけたのだろう。何度か押し問答を繰り返すうちに、次第に抵抗する力を失っていく。「もうだめだわ…」「もう自分が保てない…」。男は女の揺れをしっかり捕らえた。「さあ、行こう!」甘く、だが力強く迫る男。とうとう女は陥落する。「行きましょう!」甘い声が、甘い言葉がこだます。そして2人は、同じ旋律を声を合わせて歌うのだ。これから始まる情事の予感に身を委ねた、甘くやわらかな声で。
この間、わずか3分21秒。なんともあざやかなお手並みではないか。口説きの場面をこれほどコンパクトに、かつ巧みに、そして美しく描いたオペラの二重唱は、まずない。
オペラといえば、その多くは「愛」がテーマ。従って、恋人同士の男女による二重唱は、オペラの定番中の定番だ。だがその多くは、愛し合う2人の気持ちをこれでもかと告白しあうもの。口説きの二重唱もあるにはあるが、ほとんどはねっとりもっちり系。とてもこの種のさりげなさ、あざやかさは望めない。それを思うたびに、モーツァルトは何と桁違いの天才だったのだろうと、思わずにはいられなくなる。だって凡人の私たちが経験する感情の大半は、絶叫オペラに出てくるような死ぬか生きるかの世界より、モーツァルトの描く微妙で日常的なものなのだから。これこそ、国境や時代を超えた普遍的なものではないだろうか。《フィガロの結婚》や《ドン・ジョヴァンニ》のようなオペラが、250年の時を超えて未だに世界中で上演され続け、解釈されつづけているのは、そこに描かれている人物たちの感情が、今なお新鮮で、奥の深いものだからではないだろうか。昨今流行の読み替え演出(台本にある舞台の設定を離れ、時代を現代などに置き換える演出)が一番しっくり来るのも、《フィガロの結婚》のようなモーツァルトのオペラ・ブッファ(喜歌劇)なのである。

モーツァルト・イヤーの今年、そんなモーツァルトの魅力を、実際の音楽を聴きながら知っていただきたい。その願いがかなって、CDブック『モーツァルト 愛の名曲20選』を上梓した。上にあげたようなオペラの名曲が半分、残りの半分には、多くの方に親しんでいただけるように、おなじみの器楽の名曲を収録した。とはいっても、モーツァルトの名曲はおびただしいので、「愛」をテーマに選曲してみた。「愛」といってもいろいろある。オペラで描かれる男女の愛とは別に、楽器や旅、そして神への信頼も、愛のひとつと言えないだろうか。そのような視点での選曲である。この手のCDブックだと、CDの制作費との関係で、演奏家がおざなりであることもしばしばだが、この本に関しては演奏家にこだわった。カラヤン&ウィーン・フィル、ベーム&ウィーン・フィル、イ・ムジチ合奏団、ウラディミール・アシュケナージ、ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウなど、音楽ファンにはおなじみの名前ばかりだ。
ふだんあまりクラシック音楽を聴かない方は、「演奏家の違いなんて、どうせ聴いても分からない」と思われるかもしれないが、はじめの一歩だからこそ、いいものに触れるのは大切だと私は思う。後でそれがすばらしいことだったのだと分かる時が、必ず来る。
楽しみながらモーツァルトに近づける1冊、ぜひご高覧ください。
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